大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いつかきみも、そう思うことがあるのかな。 〜蝉取り戦記2021

あっ
と思った刹那、黒い物体はジジジ…と微かな音を残して、明後日の方向へ飛び立ってしまった。

失敗である。
さすがに真夏日の午後2時過ぎ、外にいるだけでうだるような熱気のセミ取りは、頭がぼんやりとしてくる。
しかも、今日は午前中に続いてのダブルヘッダーだ。

またドヤされると思い、そっと後ろを振り向く。
しかし息子は、「あー、ざんねん。つぎにいくぞ」と未来を見据えて足を踏み出していた。

これはどうしたことか。
訝しがりながら、私はその後ろをついていく。

「ごぜんちゅうよりも、よく鳴いてるな。オスはごごからかつどうするのかな」

こういう思考は、理系のそれのような気がするのだが、どうだろう。

「あぁ、どうなんだろうな」と気のない返事をしながら、私は桜並木を見上げながら歩く。

「声が聞こえなくても、おメスがいるかもしれないから、ちゃんと見るんだぞ」

あぁ、わかってるよ。
そう返事をしながら、幼いころに、私もまったく同じことを考えていたことを思い出す。
そのころは、いつも一人でセミ取りをしていたものだった。

「あ、また、けいたいで花とかさつえいしてサボってたら、ダメだぞ」

厳しいお達しを受けながら、そろそろ首筋の裏がいたくなってきた私は、前屈をして身体をほぐす。

それにしても、なかなか低い位置にいないものだ。
もう少しだけ、警戒感のゆるいセミがいるといいのだが。

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記憶の中の息子は、セミを取り逃がすと癇癪を起こして私を責めていた。
その記憶とのギャップに、少し戸惑いながら、木漏れ日を見上げる。

成長したのだろう。

そりゃあ、一年も経てば、そうだろう。

どっちが?

そりゃあ、息子…ではなく、私の方なのだろう。

セミ取りに出かけたら、セミを取らないといけない。
目に見える結果を出さないと、息子は喜ばないだろう。
セミが取れなかったら、という怖れと、無力感と。
いつも、それがないまぜになっていたような気がする。

「どこへ行くか」「なにをするか」をいつも考えていたように思う。
どこへ行ったら、息子は喜ぶのだろう、と。
なにをしたら、息子は喜ぶのだろう、と。

そうしておいて、そのシチュエーションを息子に与えて、自分が望んだ反応が返ってこないと、勝手に不機嫌になっていたものだ。
苦い、思い出がいくつもある。

なにをするか、どこへいくか、なんてさして重要ではないのかもしれない。
ただ、子どもは親といる時間を、欲しているだけなのだ。

そう思えるようになったときには、すでに多くの時間が失われていた。

小さな小さな手のひらをした「あの」息子と一緒にいられるのは、「あの」瞬間だけだったのに。
その時間は、もう二度と戻らない。

子育てなんて、後悔ばかりだ。
足りないこと、できなかったこと、してあげられなかったこと。
後から後から、分かることばかりだし、気づくことばかりだ。

されど、時は不可逆であり、もう二度と戻ることはない。

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ようやく見つけた、低い位置にいたアブラゼミ。

今度は一発で捕まえることができた。
ジジジジジ、とタモの中で暴れる物体。

「おとう、つかまえて」

息子に代わって、そっと羽根の部分を持って、タモから出す。
指の間で激しく動き、腹を震わせ鳴くアブラゼミ。

その鼓動は、いのちのビートだ。
ずいぶんと、なつかしい記憶の中の、手触りだった。

しげしげと、そのアブラゼミの身体を観察した息子は、もう空に放して、という。
せっかく捕まえたのに、いいの?と聞くと、いいの、と。

やさしく空へそのセミを放ると、夏色の空をジグザグに飛んで行った。

古い記憶の中の私も、そうだった。
捕まえたセミや昆虫を、しげしげとながめて、またリリースしていた。
その身体のフォルム、色、動きの美しさを、近くで眺めていたものだった。

「つぎのセミをつかまえにいくぞ。クマゼミがとりたいな」

せっかくつかまえて、リリースして、またつかまえる。
なんと不毛で、なんとぜいたくな時間か。

それにしても、猛暑日の午後は暑い。
そろそろ水分補給をしようか、と言いながら、私は後ろをついていく。

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完璧な親などいないし、いつもいつも、子どもに親にさせてもらうばかりだ。

後悔など、無意味で何も生まないのかもしれない。
けれど、多くの親が、その感覚を持っているのではないかとも思う。
それは、私の親もそうだったのだろうか。

川の向こう側で、クマゼミが大きく鳴き始めたようだった。

「つぎはあっちだぞ」

視線をそちらに向けながら、息子はそう言う。
全身の汗腺が開いたように汗だくになりながらも、とりあえず行ってみようか、と答える。

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どれだけ後悔があろうとも、これだけは思っているし、信じていたい。

きみがむすこで、よかった

と。

そして、

おとうさんとおかあさんのむすこでよかった

と。

いつか、きみも。
そう思うことがあるのかな。

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