それにしても、暑い。
そう思いながらも、この時間なのだから当たり前か、と思い直す。
スマートフォンを開くと、気温は37℃を示していた。
あれは、3年前だったか。
異常な猛暑、酷暑が続いた夏があったのを、思い出す。
7月の末から、連日37℃以上と、体温よりも高い気温がお盆あたりまで続いていた気がする。時に、40℃近くになった気温は、アスファルトの上を歩いているとローストされているような感覚になったことを覚えている。
今日の外気温は、それに近い感じの、少し暴力的な暑さだった。
夏に活動するなら、早朝か夕方。それが鉄則なのだが、なぜかこの最も気温のたかくなる時間に、感じたくなった。
その熱を、陽の強さを、そして、過ぎゆく夏を。
いつもの川沿いの通り道。道行く人が全くいなかったのは、さすがにこの炎天下だからだろうか。たしかに暑いは暑いのだが、それでも木々の間を通り抜ける風が、心地よかった。
時に、「涼風至、すずかぜいたる」。吹く風にも、わずかながら涼しさを感じる時候。
しかしながら、それでも暑い。
それでも、この暑さがいいんだ。
これぞ、夏。これでこそ、夏。
全身から汗が吹き出てくるのを感じながら、暑い夏によろこびを覚える。暑くなるほどに、そのよろこびは大きくなるように感じる。
もっと、もっと熱を、と。
それは、私が夏生まれだからだろうか。
よく分からないが、盛りが、極致が、好きなのかもしれない。
そういえば、真冬も日中の暖かい時間よりも、凍える早朝の空気が、好きだ。
そんなことを考えながら歩いていると、青々とした草木が目に入るが、花の姿をあまり見かけないことに気づく。
花が少なくなるのは、真夏も真冬も似ているのかもしれない。
極みには、花は咲かず。それは、どこか示唆的だ。
その中でも、咲いていたオレンジの花。
真夏の日差しを一身に浴びて、それに向かって花を開かせていた。
不思議と、音のしない、静かな時間が流れていた。
その開いた花弁を見つめる。
この花もまた、太陽に向けてよろこびを表現しているような。
揺れる木々の間から漏れる陽は、毎秒ごとにその光の加減を変えていく。
それとともに、その花弁の色もまた、次々と変わっていく。
額の汗を拭いながら、しばし、それを見ていた。
静かな、時間だった。
静寂の時間は、再び蝉が鳴き始めたことで終わりを告げた。
夏のイメージは蝉の鳴き声や花火と、喧騒のイメージがあるけれど。
その極みは、どこか静寂とともにあるような気がした。
それは、どこか真冬と似ているのかもしれない。