史上最年少で三冠を獲得を達成した、藤井聡太三冠。
その偉業も含めて、ここのところ将棋のニュースを目にする機会が増えました。
そんな将棋のニュースを見ていると、祖父との情景が、ふと思い浮かびました。
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父方の祖父は、よく私を可愛がってくれたように思います。
実家と祖父の家は、同じ市内にあったこともあり、よく通っていました。
祖父の家の近くで夏祭りがある週末などは、泊めてもらったように覚えていますし、年末年始は祖父の家に泊まり、近くの神社に初詣に行っていました。
その祖父の家には、古びた将棋盤がありました。
幼い私は、その将棋盤と駒を使って、よく遊んでいたように覚えています。
最初は、「はさみ将棋」から始まり。
すごろくのように歩を4枚振って進む「振り将棋」を覚え。
そしていつしか「本将棋」、通常の将棋の駒の動かし方を、祖父に教えてもらったように覚えています。
娯楽の少なかった時代に生きた祖父のこと、ものすごく将棋が強かった記憶があります。
飛車角落ちといったハンデをもらっても、駒の動かし方を覚えたくらいの小さな私では、全く歯が立ちませんでした。
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あれは、私が何歳くらいのときだったか。
祖父の家で、将棋を指していました。
夕食の後、薄暗がりの中、盤面を見つめていました。
そのとき、どれくらいハンデをもらっていたのかも、覚えていないのですが。
いつになく私の調子がよく、するすると優勢な盤面になっていきました。
祖父の王様の守りは薄くなり、もう少しで勝てるのではないか。
そんな期待に胸を躍らせながら、手を進めます。
あと少し。
今日は、祖父に勝てるかもしれない。
序盤の淡い期待を確信に変えようと、一手、また一手と私は指していきました。
しかし、そのあと少しが、何ともなりませんでした。
祖父の王様はゆるゆると逃げ、詰みそうで詰まない。
なんで、なんで詰まないんだろう…
小さな私は、必死になってうんうんと盤面を睨みつけますが、状況は変わりません。
詰みそうだけれども、どうにも詰まない。
いつしか私の攻め駒のほとんどは祖父に召し上げられ、もう私には打つ手がなくなりました。
とうとう根をあげた私は、盤面から顔を上げました。
「まだ、続けるかい」
そう言って、悪戯っぽく笑う祖父の顔が、そこにありました。
気力の切れた私は、がっくりと頭を落とし、投了しました。
最初は手を抜いていたのか、それともほんとうに序盤は私の調子がよかったのか。
そのどちらかを聞く前に、祖父は鬼籍に入ってしまいました。
恐らくは、前者だったとは思うのですが。
人の愛し方には、いろんな愛し方があります。
時に、手加減をしてあげる、という愛し方もあるのでしょう。
私自身は、娘とトランプやすごろくなどのゲームをするときには、「常勝」ならぬ「常敗」です。
負けたときの娘の癇癪が面倒なのもありましたが、やはり娘には笑っていてほしいと思うと、なかなか勝てないものです。
それだけに。
一度も勝ちを譲ってくれなかった、祖父の愛し方が、折に触れて思い出されるようです。
大きく深い瞳をしていた祖父。
記憶の中の祖父は、どこか茫洋としながら、微笑んでいました。