大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

断酒日記【1074日目】 ~変化することへの罪悪感から、自分への愛を知る。

さて、私が断酒をしてから1074日が経ちました。

来月になると、もう丸3年になると思うと、ほんとうに早いものです。
3年前の立冬を控えたあの日、自宅の近くの川の小橋の上で、なんとなく決めたことが、ここまで続くとは思いもよりませんでした。

霧のような細かい雨が肌にまとわりつく中、息子と娘がぽいぽいと、川に棲むカメにエサをあげていました。
ちぎったパンの欠片の描く放物線を眺めながら、ただ、なんとなく、お酒をやめてみよう、そう思いました。

「人生は、分からないものだ」
よく、そんな言葉を耳にします。

けれど、断酒一つをとってみても、ほんとうにそのように感じるのです。

あれほど、お酒を飲みに行くことが楽しみで、よく飲んでいた、以前の私。
それを考えると、ほんとうに「人生は、分からないものだ」と感じます。

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違和感があったのは、最初の1カ月ほどだったように思います。
その時期は飲みたい気持ちとのせめぎ合いや、葛藤がありましたが、それも時間が経つと、飲まないことが当たり前になっていきました。

つくづく、人間の習慣というのは、怖ろしいほどの力を持っているものだと感じます。

その1カ月が過ぎると、「飲みたい気持ち」との葛藤というよりは、「飲まないことへの罪悪感」のモヤモヤ、が大きかったように感じます。

以前にご一緒していた方と飲みに行ったりすると、「断酒しました」というところの説明から始めないといけない。
そうすると、なんだか申し訳なさを感じてしまうのですね。

どこか、以前の自分から変わってしまったことに対して、罪悪感を覚えるような。
それに対して何も言われていないのに、どこか変わることに対して、世界から後ろ指を指されそうな。

そんな心境があったように覚えています。

だからといって、断酒をやめようとかは、思わなかったわけですが。

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そのあと、思いもかけず感染症禍が起こり。
誰かと飲みに出かけたりすることが、めっきりと少なくなりました。

それがストレスになったかといわれると、意外とそうでもないのです。
断酒をしていたからそうだったのか、根がもともとそういう気質だったのか。

それは、自分でも不思議な変化でした。

もちろん、「寂しさ」「孤独感」は、私が生来抱えている慢性的な問題であり、それが癒えたのかといわれれば、決してそうではありません。
大容量の「寂しさ」「孤独感」は抱えたままであり、時にその魔物は私の心を凍えさせます。

しかしながら、どうもその魔物は、お酒を飲んでいたころの私とは、少し違うように感じるのです。

どこか、その魔物がいることを放っておく、というか、そのままにしておく、というか。そんなことを感じることが、多くなりました。
それは、断酒をして飲み会がなくなったからそう感じるのか、それとも自分の内面が変化したからなのか、よく分かりません。

原因と結果は、いつも曖昧なようです。

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けれど、一つ感じるのは、断酒したての頃は周りの人に対して感じていた罪悪感が、過去の自分に対して感じるようになった、と言えるのかもしれません。

自分が変わってしまうと、過去の自分を否定してしまうような、そんな気がするのですね。
お酒をよく飲み、酒席も好きだった過去の自分を、いまの自分が否定してしまうような、そんな複雑な感情です。

自分を変えていくこと、変化をしていくことの、最も強い抵抗の一つは、もしかしたら、そうした過去の自分への申し訳なさ、罪悪感なのかもしれません。
だから、自分と向き合い、自分を変化させていくことは、こんなにも難しいのかもしれません。

けれど、考えてみれば。
人が生きていくのは変化の連続であり、何もしていないように見えても、身体の細胞を構成する成分は毎日入れ替わり、日々年を重ねていきます。
もし変化しなくなったとしたら、それは死を意味するのでしょう。

いまを維持しようとする力。
変化していこうとする力。
その両方の力を持っていて、それがせめぎ合っているのが、人であるとも聞きます。

いまを形づくってくれた過去を愛そうとするからこそ、いまを維持しようとする。
未だ見ぬ自分の可能性、あるいは未来を信じるからこそ、変化していこうとする。

そのどちらもが、自分を愛するためのものだと思えば、申し訳なさも罪悪感も、「そのままにしておく」のがいいのでしょう。

先に述べた、「寂しさ」や「孤独感」という魔物を、そのままにしておくように。

変化しようとすることも、変化しないように留めようとすることも。

どちらも、その水面をのぞいてみると、同じ自分への愛があふれているのかもしれません。

だとしたら、変わっても、変わらなくても、どちらでも大丈夫なのでしょう。