時に秋分。
あるいは七十二侯では、菊花開(きくのはなひらく)の時候に入りました。その名の通り、菊の花たちが咲き誇る時期です。
ちょうど、今日は旧暦の9月9日、重陽の節句。
重陽の節句では、菊の花びらを浮かべた菊花酒を飲む習慣があり、不老長寿を願ったそうです。菊の花を見るかける時期になると、秋の深まりを感じます。
そんなことを考えながら歩いていると、小さな萩の花。
秋の風に、その小さな紫が揺れて。
近くを、黄色い蝶々がひらひらと飛んでいきました。
秋の季節は、やはりどこか寂しさの風を帯びて。
諸々のことが終わりゆく無常を、感じさせてくれるようです。
自分の気持ちに寄り添うことがたいせつと、よく言われます。
しかし、寄り添うとは、いったいどういうことを意味するのでしょうか。
「寂しいんだね」と、共感すること。
「大丈夫だよ」と、元気づけてあげること。
「寂しくて当たり前だよね」と、理解を示すこと。
どれも、寄り添うことなのでしょう。
どれも、尊い行為だと思います。
それでも、風に揺れる萩の花を眺めながら。
ただ、そこにいること。
さびしさを、そのままにしておくこと。
それもまた、一つの寄り添うことなのだろうと感じます。
決して、無視をしているわけでもなく。
無力さに卑屈になるわけでもなく。
ただ、そこにいる、ということ。
流れる感情を、そのままにする、ということ。
それもまた、一つの寄り添う形なのでしょう。
この世界を彩る秋の風が、そうであるのだから。
ただ、そこにいることもまた、寄り添うことの、愛の表現の一つなのかもしれません。
留めようとせず。消そうとせず。
ただ、浮かんでは荒れ、そしてうたかたのように割れる、そのままに。