関西方面では、今年初めての木枯らしが吹いたそうだ。
季節のめぐりというのは、本当に止まらず、変わりゆくものだと感じる。
その寒さが堪えたのだろうか。
先日、息子の飼っている、ノコギリクワガタのメスが息を引き取った。
息子がカブトムシ、クワガタを飼うようになって、4,5年経つのだろうか。
年を重ねても、この寂しさには慣れないようだ。
いつもそうなのですが、彼らは命が尽きる前に、ばたばたと勢いよく暴れまわる日がある。
何かを求めるように、飛び立とうとするように、何かに憑かれたように、ケースの中を歩き回る。
先週、私が部屋で一人書きものをしていると、カサカサと動き回る音がした夜がありました。それが、彼女の最後のいのちの輝きだったのかもしれない。
例年は、夏の終わりとともにその時が訪れるのだが、このクワガタはずいぶんと長生きしてくれた。
飼育ケースを大事そうに抱える息子と、いつもの近所の公園に歩いていく。
関西方面で拭いたという木枯らしが感じられるように、肌寒い風が吹いていた。
公園に歩いていくこの時間が、私はどうも苦手なのようだ。
季節の移ろいと、いのちについて、考えてしまうようで。
「なんで、コクワガタは越冬できるのに、ノコギリは死んじゃうんだろうな」
息子は不思議そうに、訊いてきた。
「なんでだろう。不思議だな」
私は何の考えもなしに、そう答えた。
なぜ、ノコギリクワガタは、冬を越せないのだろう。
家で飼っている同じクワガタの、コクワガタとスジブトヒラタクワガタは、最近土に潜って出てこなくなったから、越冬の準備をしているのだろうか。
「おとう、スジブトは、二年目の越冬するかな」
「あぁ、するかもな」
「すごいな、おばあのクワガタだな」
「あぁ、そうだな。なかなか2年も冬を越すクワガタって、聞いたことないからな」
息子はそんな話をしながら、亡骸を埋める穴を掘る。
緑色をしたプラスチックのスコップでは、固い木の根元を掘るのには往生している。
そのプラスチックのスコップで、最後に砂場で遊んだのは、いつだったか。
時の流れの早さを想ったが、そんなことを想っているうちに、私も「おじい」になるのだろうか。
気持ちのいい季節なのに、不思議と公園には誰もいなかった。
それがまた、私の心をしんみりとさせた。
墓標代わりに白い石を置いて、手を合わせる。
冬を越せないいのちと、時の流れに滔々とするわたしと。
ずいぶんと早い夕暮れの風に揺られ、木々がざわめく音が聞こえた。
「おとう」
「どうした」
「ブランコしていこう」
「ああ、していこう」
ブランコで風を切り、足をぶらぶらとさせる。
いつか、季節がめぐり。
あの墓標の代わりに置いた石の周りに、花が咲き乱れるといいな、と思った。
久しぶりに乗ったブランコをしながら浴びる秋の風は、やはりもう冷たかった。
死はいつか碑になり、そこに花が咲く。