今年の8月に、「2021 優駿エッセイ賞」に応募しました。
応募の経緯などは、こちらで詳しく綴りました。
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本日発売の「優駿 11月号」で、その選考結果が発表となり、残念ながらタイトルの通り予選で「落選」となりました。
このまま書かずにスルーしておこうという思いも頭によぎりましたが笑、やはり応援してくださった方々に向けて、きちんとご報告をと思い、これを綴っております。
率直な、いまの気持ちは
「なんでかなぁ」という現実感のなさと、
「何が足りなかったのかなぁ」という無念さと、
「終わってしまったなぁ」という寂しさと、
「応援してくださった方々に、いい報告がしたかったな」という申し訳なさと…
そんな感情が、入り混じっております。
残念なのは、とても残念です。
100円硬貨を握りしめて、息せき切って駄菓子屋さんに着いたとたんに、その100円玉がなくなってしまったというか。
楽しみにしていたことが、現実という冷や水を浴びせられた、というか。
この無念さを噛みしめることでしか、分からないことがあると、理性は納得させようとするのですが、感情はそう簡単にいうことを聞いてくれないのですね。
「だって、お菓子がほしかったんだもん!」と。
3年前に初めてご縁をいただいた方に、お聞きしたお話を思い出します。
「人は、ただ決めただけでは、『場』は迎えに来ない。しっかり覚悟した時に、初めて自分のステージが迎えに来る」
そのことを、ある俳優さんのお話を例にお話しされていました。
ある俳優の方が、オーディションに落ちてしまった。
それを受けて、その俳優の方は、
「あの監督、見る目がないよ。だって、僕を選ばなかったんだもの」
と言いいました。
この出来事を、どう解釈するか。
もちろん、その方の言う通りに、監督の見る目がなかったのかもしれません。
けれど、もしかしたら。一つの見方として、
「役が、あなたを迎えに来てなかった」
と見ることもできる、と。
それは、覚悟が足りなかったとも言い換えられるのでしょう。
翻って考えると、まだ私には「覚悟」が足りなかったのかもしれません。
お役目が、私を迎えに来なかった。
それが、いいも悪いもありません。
ただ、「今回は」そうだった、というだけなのかもしれません。
「盆面(ぼんづら)」というバクチ用語があります。
「盆」=バクチの現場における、態度や振る舞いのことを指します。
「強い麻雀打ちは、盆面がいい」。
かつて私が麻雀を打っていた時分に、よく聞いた格言です。
「盆面がいい」とは、勝負ごとに勝っても負けても、品のある立ち振る舞いのことを指します。
勝っても驕らず、負けても腐らず。
自分で決めて、前に出たのならば、潔く。
ただ、その結果を受け入れる。
そんな、「盆面がいい」生き方をしたいものだと、よくその時分に思っておりました。
そのためには、手厚く負けたときこそ、胸を張るべきなのでしょう。
それが、今なのかもしれません。
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などなど、頭で納得させるような書いておきながら、未練タラタラの私ではあります笑
やっぱり、くやしいなぁ…と思うばかりですし、隠している(?)プライドがポキポキになってしまい、ハートブレイクしております。
けれど、あの時期あのタイミングで、あれ以上のものは恐らく書けなかったというのも、私の中の真実です。
…が、残念だなぁ、とは思うのです。
それは、自分への過剰な期待であり、捨てられないプライドであり、結果への執着でもあるのでしょう。
しかし、今回応募することを公表したときに、本当にたくさんの方の応援をいただきました。
この場をお借りして、深く御礼申し上げます。
その応援がなければ、こうして落選をご報告して、胸を張ることもできなかったと思います。
ありがとうございました。
この落選を糧に。
また、これからも挑戦していきます。
本当に、ありがとうございました。