時に「霜降」、北国から順に霜が降り始めるころ。
その通りに、朝晩の冷え込みが、一段と感じられるようになってきました。
七十二侯でも「霜始降(しもはじめてふる)」、霜が初めて降りるころです。
まだ私の地域では霜は見かけませんが、それでも早朝に自宅から出ると、吐く息が白くなったりと、季節の移ろいを感じます。
日中との寒暖差が大きく、なかなか着るものに苦心する時期でもあります。
去年は何を着ていたっけと、衣装ケースを開いては記憶を辿ったりしております。
気温が下がると身体が縮こまり、抵抗力も落ちるといわれるので、体調管理には気をつけたい時分ではあります。
ストレッチをしたりして柔らかさを保ちながら、身体を冷やさないようにしたいものです。
とはいえ、気温が下がると、気持ちも「しゃん」とするのが、不思議なところです。
この時期の早朝は本当に気持ちがいいもので。
心地よい外気の中に、凛とした寒気が入り混じって、背筋が「ぴん」とします。
夏の熱というのは、どこか人の身体も心も弛緩させるような気がします。
だからでしょうか、夏の残り香があるうちは、どこかぼんやりとするのです。
気温と人の思考というのは、どこかリンクしているようで。
たとえば、絶望について書かれたあの難解な「死に至る病」を著した哲学者、キルケゴールがデンマークの生まれだというのは、どこか象徴的です。
これが赤道直下の南国では、やはり書かれなかったように感じるのです。
もちろん、そのどちらかがいい/悪いというわけではありません。
ただ、この国に四季があるというのは、ほんとうにありがたいものだな、と感じるのです。
凛とした寒さも、弛緩させる陽気も、どちらも味わえる素晴らしさ。
日々移ろいゆき、千変万化するギフトのようです。
今日もまた、そのギフトを見つめながら。
今日は今日のことを。