大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

【ご感想】カウンセリングを終えた夜は、春の陽だまりに包まれたような眠りでした。

f:id:kappou_oosaki:20220212093353p:plain

モニター・カウンセリングのご感想をいただきました。
木枯らしの季節に、春の麗らかさを感じていただき、嬉しく思います。

〇大嵜直人のカウンセリングを受けようと思われた理由を、お教えください。

直人さんの言葉や文章がとてもすきで、日々のたのしみにしています。

そんな直人さんの「言葉」や「まなざし」からわたしを知ってみたく、お申込みさせていただきました。

今回は「カウンセリング」とはならないのかもしれないけれど、わたしのビジョンを見るお手伝いをお願いしました。

日々の中で流されるようになってしまうけれど、元来わたしがいきたい場所はどこなんだろう、と感じ続けているからです。

他の方のカウンセリングのご感想や、直人さんのブログを読んでいると、直人さんは自然と、その方が持つ素直な資質をそっと浮上させるということをされているように感じたからです。

〇カウンセリングを受けてのご感想を、ご記入ください。

カウンセリングの途中で、普段は使っていない・眠っている・触れていないような感覚が、自然にふわりと立ち上がりました。

それは、わたしにとっては、自分を洗うような、深く癒されるような感覚です。

その感覚をたまに目覚めさせていないと、自分が枯れて、朽ちてゆくように感じるものでもあります。

それでいて、自分ひとりじゃ、その感覚には至れないというものでもあります。

その感覚に至っていることに、
「ああ、ここにきてしまった…」
となぜか一瞬ひやりとする感じもあったのですが(「踏み込みすぎて遠くまで飛んでっちゃったらどうしよう」、「戻ったときに虚しくなってしまうかもしれない」という怖れ)、
直人さんはしっかりと地に足をつけていらっしゃり、やさしく、落ち着いた、あたたかな物腰で、そこにいらして下さいました。

そのことに安心し、その感覚のまま、おはなしさせていただきました。

わたしが風のまま運ばれる船で、直人さんが碇になってくれているような。

あれはきっと、素のわたしだったんだと思います。

こころのどこか奥底にいるわたしから、笑みが溢れ続けるようでした。

とろ火であたためられ、わたしはふつふつと元気になってゆくようでした

かと言って。
ふわふわと気持ちよくなって終わった、という、ある種現実から離れたものでは、決して無く。

最後に直人さんからいただいたご提案は、とっても現実的なものでした

しかもそれは、すぐに実行できることで、それでいてここ数年の慢性的な課題(自分ではクセになっちゃってて、課題という認識もさほど無い)ものでした。

目から鱗。

直人さんって、やっぱり、すごい。

そのご提案にこつこつ取り組んでみようと思ってます。

それは、「べき」「ねば」のきびしい場所からではなく、
それをやったらどんな風になるんだろう…?という、おたのしみの場所から。

カウンセリングを終えた夜は、春の陽だまりに包まれたような眠りでした

〇大嵜直人のカウンセリングをおすすめするとしたら、どんな方におすすめですか?

なにがどうとかよくわからないけれど、最近なんとなく心地悪くてずれてるな、と感じている方

直人さんの言葉や世界に惹きつけられている方

誰にも通じないかもしれないなというような事柄や秘密を抱えていてそっと打ち明けたい方

かすかな懺悔をしたい方

〇その他、ご意見やご要望などございましたら、自由にご記入ください。

この度は、豊かですてきなときめき時間をありがとうございました。
直人さんは素晴らしい文筆家であり、素晴らしいカウンセラーさんです。
どうぞ、直人さんの、そのままで。

(まるまる さま) 

 

まるまるさまとのセッションでは、そんなに遠くない未来を、一緒に観る時間を過ごさせていただきました。
それは、たくさんご質問を重ねていく中で、まるまるさまの才能や魅力、愛の大きさといったものが浮き彫りになっていくような時間でした。

その高い共感力や、いまここに殉じられる集中力といった類まれな才能で、たくさんの人を癒してこられた、まるまるさま。
ときには、ご自身の身を削ってまで相手に与えてしまうお話がありました。
それを無価値観から見ることもできるかもしれません。けれど、それは人として尊いものだと感じます。

仏教に、「捨身月兎」という説話があります。
いろいろな伝われ方がありますが、時に帝釈天が飢えた老人に姿を変え、狐、猿、兎の三匹に物乞いをします。狐は魚を、猿は果物を持ってきましたが、何も持ってくることができなかった兎は、焚き火の中にその身を投げ老人に捧げます。
帝釈天は慌てて兎を助け出しますが、すでに兎は息絶えていました。帝釈天はその尊い行為を想い、月の中にその兎の姿を残したと伝えられます。

その兎は、お釈迦様がこの世に生まれる前に修行していた姿だったといわれたり、細かい部分はいろいろなパターンがあるようです。

ある事実を見て、無価値観なり罪悪感なりといったことに原因を求めることもできます。この兎の説話をしても、そうなのでしょう。

けれど、その同じ事実に思い遣り、相手を想う心、あるいは人間としての尊さ、ひいては愛といったものから、それを観ることができるカウンセラーでいたいと、私は常々そう思います。

ここのところ、急に朝晩冷え込むようになりましたが、セッションの夜は安らげる眠りだったとお聞きして、とてもうれしく思います。

あらためまして、これからのまるまるさまのご活躍を、心より応援しております。
モニター・カウンセリングの機会をいただきまして、ありがとうございました!

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細はこちらになります。

【カウンセリング・メニュー】

※引き続き、11月分のカウンセリング・モニターを募集しております。