ヤタ(椙山眞伍)カウンセラーと出会ったのは、2018年の頃だったでしょうか。
当時、私はなぜか「熊野」の地に惹かれておりました。
ある日ふと浮かんだ、「熊野古道を歩いてみたい」という願望とも呼べないような何かが、私の心を捕えて離しませんでした。
そうすると不思議なもので、友人が熊野を訪れたことを教えてくれたり、ニュースで熊野の記事を見たり、SNSで熊野の写真に目が留まったり、いろんなシンクロが起きて、熊野に惹かれていきました。
極めつけは、その当時に新しくつながっていただいた友人の、ニックネームの由来を聞いた時でした。
椙山慎伍さんは、「ヤタさん」と呼ばれていました。
酒席か何かで、「なんで『ヤタ』なんですか?」と聞いたことがあったのですが、「八咫烏(ヤタガラス)からきている」と教えて頂きました。
なぜ、八咫烏なのか?という一番大事な部分は忘れてしまうのが、私らしいといえば私らしいのですが、八咫烏(ヤタガラス)といえば、サッカー日本代表の守り神でもあり、熊野本宮大社の象徴でもあると聞きます。
これはもう、行くしかないと、強行日程で熊野を訪れることができました。
「蘇りと再生の道」、熊野古道を歩いた先に訪れた、熊野本宮大社。
椙山さんのニックネームの由来となった、三本足の八咫烏(ヤタガラス)。
かの神武天皇の東征を案内したという「導きの神」は、境内のポストにいらっしゃいました。
熊野を訪れることで、私は自分自身の望みを叶えることができたという自信、そしてこれからの道に迷う中で、「導かれている」というある種の確信めいたものを与えてくれました。
私にとってヤタさんは、その名の通り、私の人生の転機に現れた、八咫烏(ヤタガラス)のような存在なのでしょう。
その後、ヤタさんはプロカウンセラーとしてデビューされ、数々のキャリアを積まれています(なので私からすると、カウンセラーとしては大先輩なのですが、親しみを込めて「ヤタさん」と書かせて頂いております)。
ヤタさんにはもう一つ、大きな恩があります。
上に述べた、熊野への導きの神さまになっていただいたことの他に、また私の転機に導きをしていただきました。
今年の3月に、ヤタさんのカウンセリングを受けさせていただいたのです。
当時の私は、根本裕幸師匠のお弟子さん講座(カウンセラー養成講座)に通い始めて1,2か月ほど経ったあたりだったのですが、どうにもしんどくて、しんどくて、重苦しさを感じていました。
こんなに苦しいなら、辞めてしまいたい。
何が苦しいのかも分からず、そう感じていたように覚えています。
私自身がカウンセラーを名乗っていてアレなのですが、自分がカウンセリングを受けることに抵抗がありました。いまは、だいぶ薄れましたが。
自立の自立、いつも一人で抱え込んで燃え尽きて灰になる私です。さらに、あまり書きたくはないのですが、余計なプライドが高くて、「誰かに頼るくらいなら、一人朽ち果てて死んだ方がマシ」教の最高幹部でもあります。
おかげさまで、カウンセリングに申し込んで頂く方の葛藤や、怖さはすごくよく分かるのですが・・・
それはさておき、この苦しさをどうにかしないと、もう続けれない。
そう思ったとき、ヤタさんのカウンセリングを受けることにしました。
2019年訪問時。熊野の深き森をイメージして、緑になっていた八咫烏。
こう書いてしまえば何でもないのですが、自立をこじらせた男性が、同じ男性カウンセラーに相談するというのは、だいぶハードルが高いものです。
まず、自分のことを話す習慣がない。
そして、同じ男性に弱さを見せることが、イヤだ。なんだか、負けた気がする。絶対に、イヤ。
はい。もう書いているのがイヤになりますね・・・
しかしながら、それ以上に自分のしんどさは、のっぴきらならい状況になっていました。
超絶抵抗を感じながらも、ヤタさんのカウンセリングを受けることにしました。
けれども、最も抵抗を感じることに、最も偉大な恩恵が隠れているものです。
私にとってのヤタさんのカウンセリングも、そうでした。
ヤタさんは、私のしんどさを、自覚できないほどに、抱えて膨らんでいた感情を、丁寧にほぐしてくださいました。
膨大な「怒り」、そしてその源泉となるもの。
あるいは、カウンセラーとして、クライアントの光を見ることの怖さ。
その光を見るためには、自分の光も見なくてはならないから。
時に、不幸になることよりも、幸せになることの方が怖いように、人は自分の闇を見るよりも、自分の光を見ることの方が怖い。
罪悪感にまみれていた方が、自分の偉大な愛とつながるよりも怖くないこともあるから。
それは、ずっと自分を日陰に押しやっていた私にとって、自分の光の部分を見ると言うことは、怖いものでした。
時に理論的に、時にわかりやすく、時に笑いを取りながら。
私の歩みを、応援してくださったと思います。
2020年訪問時。医療従事者への感謝を込めて、青色に彩られた八咫烏。
カウンセリングの最後に、ヤタさんは宿題を出してくださいました。
「自分の人生の恩人10人に、その人が喜ぶプレゼントを用意して届け、感謝の手紙をその人の前で読む」
「半年以内にやりましょう!」とヤタさんには言われたのですが、恥ずかしながらまだ8人までしか終えられていません。
しかしながら、その宿題をこなしていくことは、私がどれだけ自分が人生の中で愛されてきたのか、そして大切な人を愛してきたのかを、思い出す旅のようでした。
時に気恥ずかしさに悶えながら、その手紙を本人の前で読みました。
出会いと別れ、寂しさが根源にある私らしく、10人のうち4人が故人でした。
時には飛行機に乗って、レンタカーを走らせ、その恩人の墓前に花を捧げ、感謝を述べに行ったりもしました。
そういえば、飛行機に乗ることなんて、簡単だと教えてくれたのも、ヤタさんでした。
まるで地下鉄に乗るかのようなフットワークで、常人には信じ難い行程(セントレア~稚内~那覇~成田だとかなんとか、イカれてるとしか言いようがない笑)で飛行機に乗る姿を見せてくれるヤタさんですから。
その姿を見ていると、私の重い腰も上がるようになったようです。
ヤタさんのカウンセリング、宿題は多くの恩恵を与えてくださいました。
究極的に言ってしまえば、カウンセラーはクライアントに対して、何もできないのかもしれません。
傷を癒すのも、選択をするのも、その道を歩くことも、すべてクライアントにしかできないからです。
けれど。
時に、一つのカウンセリングは、一人の人生の転機になり得ます。
もちろん、すべてのケースがそうなるとは言えません。
ただ、私にとっての、ヤタさんのカウンセリングはそうだったと、この場でお伝えすることはできます。
そのおかげで、今日の私があるのですから。
ヤタさん、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!
【そんなヤタさんが、2022年1月15日に1dayワークショップを開催されます】
上に書いたような、ヤタさんの笑いの中にも癒しのあるカウンセリングをグループで体験できるワークショップだそうです。
それは、きっと誰しもが抱える「慢性的な問題」を癒してくれることと思います。
そして、「導きの神」八咫烏(ヤタガラス)のように、参加される方を素敵な2022年に導いてくれるのでしょう。