大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を。 ~傘についての思い出。

2月の終わり。

この時期の雨は、一雨降るごとに、冬から春へと切り替わるサインのようでもあります。

冷たく芯から冷えるような、冬の雨。

それが、どこか雪や氷を溶かすような、そんなあたたかさを含んだような、そんな雨のように感じます。

もうすぐ、「啓蟄」も近いようです。

土のなかの生きものも、その確かな変化を感じているのでしょうか。

しとしとと降る雨を見ていると、子どもの傘を心配したりします。

傘を持って行っただろうか、とか、置き傘はあるのだろうか、とか。

まあ、たかが雨で、子どもは何とでもするのでしょうけれども。

それでも、濡れて風邪ひいたらとか、要らぬ心配をしてしまうのが、親なのかもしれません。

 

かくいう私自身も、天気予報を見て傘の準備をするのが、苦手な子でした。

男の子はみんなそうかもしれませんが、雨に濡れるのをあまり厭わない性分だった気がします。

使わない傘を持って出かけるのが億劫ですし、じゃあ「折りたたみ傘」でいいじゃないかと思いますが、これまた苦手なんですよね。

何がって、折りたたみ傘を、折りたたむのが苦手でした。

なんか、うまくたためないんですよね笑

それが苦手で、折りたたみ傘を使った記憶が、ほとんどありません。

あれ、何なんでしょうね…きれいにたたむのは、何か、特別な才能が必要な気がします笑

同じ才能が、スーツケースとかのパッキングとかにも、必要な気がします。

苦手なんですよねぇ…すぐ、ぐちゃぐちゃになってしまう。

そういえば、部活でサッカーをしていたときも、着替えたりするのが遅い方だったのは、そんなところもあるのかもしれません。

 

そんな傘が苦手な私でした。

時に雨に濡れて帰ってくる私を、両親はどう見ていたのでしょうか。

なんとかして、傘を持っていかせようとしていたのか。

いまの私のように、雨が降ると心配していたのか。

静かに降る、あたたかさを含んだ雨を見ていると。

そんなことを、思い出すのです。