今週は、曇りや雨の日が多かったようで、暑さが少しだけ緩んだようです。
ただ、来週はまた猛暑が戻ってくるようですね…
戻ってこなくてもいいのですが笑
時候は、「立秋」のなかごろ。
暦の上では秋ですが、まだまだ暑いですよね。
七十二候では、「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」。
夏の終わりを告げる、ヒグラシが鳴くころとされます。
「カナカナカナ…」という、もの寂しさを誘うヒグラシの鳴き声ですが、私の住んでいる名古屋では、あまり聞くことができません。
聞こえるのは、シャーシャーシャーと鳴くクマゼミか、ジージージーのアブラゼミ、そして特徴的な鳴き声のツクツクボウシあたりでしょうか。
ヒグラシの声は風情があるので、聞けるといいんですが、なかなか聞けないようです。
暑さが緩んだからでしょうか。
夏の終わりを、強く感じます。
いや、来週にはまた体温超えの猛暑が戻ってはくるんですが笑
ただ、そういった「暑さ」としての夏はしばらくは続くとして。
概念的な、というか、「風情」としての夏は、もう終わりなんですよね。
日もずいぶんと短くなりましたし、夕方、外を歩いていると、それを強く感じます。
これ、伝わりますかね…?
気温でいえば、もう10月あたりまで30度を超える夏日がありますし、そういった意味での夏はまだまだ続きます。
けれど、心の中での夏というか、そういった風景というのは、このお盆でもう終わりなんですよね。
これ、どうなんでしょう。
体温超えとか、異常なまでの暑さではなかった夏を、私が経験しているからこそ、そう感じるだけなんでしょうか。
この40度に迫るような暑さの夏や、9月に入っても真夏日があるような気候が当たり前の、いまの子どもの世代が大きくなったら、そう感じるのでしょうか。
それとも、彼らからしたら、夏の情感と意味は、変わっているのでしょうか。
やはり、変わらざるをえないような気もします。
以前にアニメのエヴァンゲリオンの中では、厄災が起こったことで気象が異常になり、四季がなくなり常に夏、という設定だったことを思い出します。
あれを見ていて、劇中で印象的な青空や蝉の声が、一年じゅうずっとあるとしたら、やはりそこから受ける情感も変わるのだろな、と感じたものでした。
気候が変わるほどに、そういったことは起こりうるように思います。
変わりゆくもの、変わらないもの。
この風情としての夏が、いままさに過ぎゆくことだけは、確かなようです。
とはいえ、「暑さ」としての夏は続きます。
どうごご自愛くださいませ。
