大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

水始涸(みずはじめてかるる)、名月を待ちながら。

「いつの間にか」という感じで、朝はすっかりと涼しく過ごしやすくなりました。

秋分の日のあたりは、まだまだ暑いな、という感じでしたが、明確に変わってきた気がします。

日中は、まだ日差しが強かったりして暑い日もありますが、それでも朝晩はもうずいぶんと涼しくなりました。

時候は「秋分」の終わりごろなのですから、涼しくなってきて当たり前と言えば、当たり前なのでしょうけれども。

ただ、これだけ夏が暑かったので、「ようやく秋か」と、ほっとします。

七十二候では、「水始涸(みずはじめてかるる)」。

田んぼの水を落として、稲の刈り入れの準備を始めるころとされます。

もう、稲の収穫が終わった田んぼを見かけることも、多くなってきました。

まさに、これからが収穫の秋、といった感じでしょうか。

 

そういえば、「中秋の名月」もすぐにやってきますね。

2025年の今年は、明日の10月6日がその日だそうですが、中秋の名月と聞くと9月のイメージがありましたので、ちょっと遅いような感じがします。

調べてみると、去年は9月17日だったようなので、2週間ほどずれがありますよね。

「中秋の名月」自体が、「旧暦8月15日に出る月」とされているそうなので、いま使用されている太陽暦では、毎年ずれが生じるそうです。

それはともかくとして、最近はほんとに空が澄んできていて、空を眺めているとほんとに清々しい青空が広がる日が多くなりました。

やはり、これだけ澄んだ空気だからこそ、お月さまも美しく映えるのでしょうか。

 

昨日も、夜空を眺めていましたが、実に美しく澄んだお月様が、その姿を見せてくれていました。

何十年、何百年、あるいは何千年も、こうして人は月を眺めてきたのでしょうね。

涼しくなって、過ごしやすくなってくると、そうしたロマンにも、想いを寄せたくなりますよね。

美しく見えても、たとえ雲で見えなくても。

いつもそこに在り続ける月。

その月に、人はきっと、さまざまなものを映し出してきたのでしょう。

あなたのお住まいのところでは、中秋の名月は見られそうでしょうか。

見えても、見えなくても、

月は、そこに在り続けるのでしょう。

ずいぶんと涼しくなってきました。

動くもよし、休むもよし。

どうぞ、ご自愛くださいませ。