仕事でお付き合いのある営業の方がいた。
仮に、その方の名前を辰巳さんとしておく。
辰巳さんは、割と大きめの身体と、よく通る声をしていた。
夏のころには、よく真っ黒に日焼けした顔をしていた。
「営業でゴルフですか?」と聞くと、高校野球の地方大会を一日観戦していたら、こうなったという。
まあ、ご想像の通りの、「ザ・昭和」という感じのオヤジさんだった。
ふとしたことで、その辰巳さんは私と同じ干支だと知ったのは、最近だった。
同じ、申年。
私よりは年上だとは思っていたが、一回りも上とは思っていなかったので、少し驚いた記憶がある。
40を過ぎると顕著なのだが、見た目と実年齢は本当にリンクしなくなる。
若かろうと、老けていようと、別にそれがいいも悪いもないのだが。
それにしても、辰巳さんが私よりも一回りも上と聞くと、よくわからなくなる。
「もうすぐ定年なんですよ」、と言っていた。
え?でも雇用延長とかあるんでしょう?と聞いたが、「いや、営業はいくらでも変わりがいますから」と笑う。
「まあ、日銭は稼がないといけないんですが、どうしようかなぁ」と、どこか他人事のように笑っていた。
その笑顔は、どこかあっけらかんとしていて、諦念とでも呼べるような乾いた感じがあった。
そんな辰巳さんに、父を感じたのはいつだっただろうか。
父を投影していたといえばそうなのだろうが、どちらかといえば、「父が生きていたら、こんな風に歳を重ねていたのだろうか」という郷愁にも似た想いの方が強かった気がする。
気づけば、父がその生を全うした歳まで、そんなに遠くないところまで、私も歳を重ねてしまった。
父が生きていたら、と思うようになったのは、いつからだろうか。
それは、父の喪失を受け入れていくプロセスのなかのことなのだろう。
喪失を受け入れられていなければ、その問いは成り立たない。
父が生きていたら。
そう思うのは、やはり癒されてこそだと思う。
故人は、仮定の中に生きるのだ、とも。
父の享年を過ぎたら、私はどうなるのだろう。
何かが、変わるのだろうか。
父の後を追うことをやめて、自分の生を歩めるのだろうか。
それもまた、違うような気がする。
故人は仮定の中で生きるが、今生を生きる我々は、しがらみの中で生きるのだ。
自分を縛る鎖は、そのまま自分自身の一部であり、また与えられた才能を示す。
辰巳さんと話していて、そんなことを考える。
目の前の辰巳さんは、最近血圧がどうのと言っている。