大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分のものでありながら、自分のものではないのが、わたしの身体。

自分の身体は、自分のものと思ってしまいがちです。

しかし、それは半分真実ですが、半分は真実ではありません。

1.自分の身体の扱い方

昨日は、自分の身体の扱い方、というテーマでお伝えしました。

自分自身の身体を、大切に扱うこと。 - 大嵜直人のブログ

自分への接し方、というお話の流れからでした。

自分が自分をどう扱うかというのは、カウンセリングのなかでも中心的なテーマになることが多いものです。

自分を、醜いアヒルの子として扱うのか。

それとも、この上なく美しい白鳥として扱うのか。

いや、別にアヒルもかわいいんですけれどね笑

要は、自分を卑下して見るのか、それとも愛をもって見るのか、どちらで見るかによって、見える世界が違ってきますし、周りからの扱いもまた変わってきます。

配送の荷物にしても、厳重に梱包されて「貴重品」「取扱注意」と記載してある荷物と、角がボロボロになって所々破れている段ボールとでは、扱い方も違ってきますよね。

自分を必要以上に卑下していることは、周りの人にも「私のことは適当に扱ってください」というメッセージを発していることと同じといえます。

さて、こうした自分の扱いは、身体の扱いもまた、同じです。

身体が発しているメッセージを無視して、身体を酷使したりすることは、自分を否定していることと同じです。

身体は正直で、実にさまざまなことを私たちに教えてくれます。

その声なき声に耳を傾けるのも、自分を大切にすることの一部です。

2.自分のものでありながら、自分のものではない

自分の身体というのは、実に不思議ですよね。

手を動かそうと思えば動かせるし、目を動かそうと思えば動かせる。

自分の思いどおりになるがゆえに、それは「自分のもの」と錯覚してしまうものです。

けれども、私たちの身体というものは、自分のものでありながら、自分のものではないという、不思議な一面を持っています。

身体とは、私たちが生を享けたときに与えられた、偉大なギフトです。

ギフトですから、与えられたもの、なんですよね。

もちろん、自分がオーダーしたものではありませんし、自分の望み通りではないかもしれません。

「もっと身長が高ければ…」とか、「鼻がもっとまっすぐなら…」とか、いろいろ不満は誰でもありますよね笑

ただ、与えられたものだから、自分の好きにしていいか?というと、そうでもないように思えます。

たとえてみるなら、先祖から一子相伝で受け継がれてきた家宝を、自分の一存で処分できるか?というと、それはできるんでしょうけれども、どこか抵抗がありますよね。

家宝というと大袈裟かもしれませんが、実家とか、お墓とか、そういったものもまた、近いのかもしれません。

もちろん、それは自分の判断なのでしょうけれども、どこかそこには「自分だけのものではない」という感覚がつきまといます。

身体もまた、同じです。

連綿と受け継がれてきたものであるがゆえに、それは自分のものであり、それでいて自分のものではないようです。

3.身体は、乗り物

そう考えていくと、自分の身体の声を無視したり、身体をいたわらなかったりすることは、自分に与えられたギフトをぞんざいに扱ってしまうのと、同じことなのかもしれません。

身体、というか肉体は、いつか終わりがきます。

そのときまで、大切に大切に扱っていくのが、私たちの責任でもあるのでしょう。

そして、もっと大切なのは、その身体を使って、何をするか?ということなのでしょう。

受け継がれてきた中で、私に与えられた、この身体。

その身体を使って、何をしていくか。

何を、成し遂げていくか。

何を、与えていくのか。

有限の身体なればこそ、その問いかけは大切に考えてみたいものです。

今日は、自分のものでありながら、自分のものではないのが、わたしの身体、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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