大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

皐月の熱田さんは、初夏のきらめきのなかに。

皐月もなかば、あるいは立夏のころ。

熱田神宮を、訪れることができました。

七十二候では「蚯蚓出(みみずいずる)」、土のなかからミミズが出てくる時期とされます。

ミミズというと、小学校の校舎の北側のジメジメした土にたくさんいたような、そんな記憶があります。

熱田さんの境内でも、ミミズがそろそろ出てくる時期なのでしょうか。

駐車場に停めて、正門を望むと、その緑の鮮やかさに目を惹かれます。

そういえば、先月訪れたときは、雨の風景だったことを思い出します。

同じ場所のように見えて、日々見える風景が異なる。

季節のめぐりは、面白いものです。

上知我麻神社の境内の緑も、まさにいまが盛り。

燃えるような、きらめくような。

実に、美しい新緑の青さ。

吹く風はもうずいぶんと熱を帯びており、立夏の季節を感じさせます。

毎月毎月、こうして同じ場所の、なんでもない風景を撮っている。

それを考えると、私の好きな映画の「スモーク」のことを思い出していました。

「スモーク」の主人公のオーギーは、ニューヨークのブルックリンの街角の煙草屋の店主。

その煙草屋の前の風景を、毎朝毎朝、カメラで撮るのを習慣にしています。

あるとき、友人で作家のポールに、その写真のコレクションを見せることになるのですが、一枚の写真に亡くなったポールの妻が写っていたシーンから物語は始まります。

ラストシーンまで印象的な、いい映画でした。

何かを集める、というのは私のなかで大切な習慣なのかもしれません。

ただ、なんとなく。

気づくと、集めてしまうようです。

だから、先ほどの映画「スモーク」で、「なぜ毎日写真を?」とオーギーが聞かれて、「さあ。なんとなくさ」と答えるところに、とても共感を覚えるのですよね。

この熱田さんを訪れるのも、そんな収集心のあらわれなのかもしれません。

それにしても、初夏のきらめきのなかの境内は、生命力に満ちあふれていました。

この時期だけしか見ることのできない、陽の光のようでした。