「シャドウ」が見せてくれるのは、抑圧し、隠してきた自分の姿です。
そう生きなかった選択をするには、なにがしかの理由があるのですが、その理由を愛することがとても大切なのです。
1.「シャドウ」への嫌悪と、嫉妬
昨日の記事では、「シャドウ」への嫌悪と嫉妬、というテーマでお伝えしました。
ここのところのテーマは、「シャドウ」の心理ですね。
私たちは、自分のなかに嫌っている部分、認められない部分、愛せない部分を持っています。
その部分を嫌ってしまうには、それで誰かから嫌われたり、大切な人に悲しい思いをさせたり、笑顔にできなかったりといった経験やできごとからなのですが、何にせよ、誰のなかにもそうした「自分が自分を嫌っている部分」があります。
そうした嫌っている部分を抑圧していると、それが自分の外側の世界に現れるようになります。
その嫌っている要素を強く持った人が、目につくようになるんですよね。
大嫌いな人。許せない人。絶対コイツみたいになりたくないという人。
そう感じる存在を、「シャドウ」と呼んだりします。
「シャドウ」が教えてくれるのは、自分のなかにそうした部分が存在していることであり、それを受け入れ、許し、愛してあげなさい、というサインです。
「シャドウ」への嫌悪って、自分のなかにその要素があるがゆえの同族嫌悪であり、またほんとうはそうしたいのに…という「嫉妬」だったりします。
これ、認めるにはすごくエネルギーの要ることですが、自分を受け入れ、肯定し、愛していくなかでは、必ず必要になるプロセスです。
だから、昨日の記事では、まず「あれは、実はわたしなんだ」と認めることからはじめましょう、とお伝えしました。
2.そのままでは、生きられなかった私
「シャドウ」が教えてくれるのは、もう一つの私の生です。
「そのままでは、生きられなかったわたし」
なんですよね。
だから、言ってみれば「シャドウ」って、自分自身の可能性を教えてくれる存在であり、また「こんな風に生きることができたのかも」という存在です。
ちょっと表現は変かもしれないですが、パラレルワールドでは、私は「シャドウ」のような生き方をしていたのかもしれない、そんなイメージです。
それは、私たち自身が、自分であきらめた生き方であり、また自分で閉ざした道の先にいる存在でもあります。
だから、激しく嫉妬するし、それゆえに「シャドウ」は許しがたく感じるんですよね。
「あ、こいつ…!!こっちは我慢に我慢を重ねて、その生き方をやめたのに、なんでそのままの生き方をしてるんだ…!?」
「えぇ…わたしがやりたくてもできなかったことを、軽々としている…なんで??」
といったように。
そりゃあ、ムカつきますよね。
嫉妬もしますよね。
羨ましくもなりますよね。
悔しいくもなりますよね。
その人を否定したくもなりますよね。
それ以上に、そう生きなかった自分を否定したくもなりますよね。
「シャドウ」と向き合うのは、そんな苦しさがあります。
だから、単に「あの人キライ」のままにしておく方が、ラクなんですよね。
でも、それは自分を抑圧したままになりますので、結局、苦しくなっていきます。
3.そう生きなかった理由を愛する
こうした「シャドウ」と向き合う苦しさ。
それを和らげるための視点が、一つあります。
そもそも、私たちがその生き方(「シャドウ」の生き方や在り方)をしなかった、抑圧してきたのには、何らかの理由があるわけです。
本来の自分、生来の自分。
そうした自分を抑えて、隠して、言ってみれば仮面をつけて生きることを選んできた。
それには、何らかの理由があるんですよね。
その理由と向き合い、その選択をした自分を愛することが、「シャドウ」を扱う上で、とても大切なテーマになります。
たとえば、本来はマイペースで、のんびり屋さんの気質の人がいたとします。
けれども、お母さんのしつけが厳しくて、毎日毎日、
「そんなにのんびりしていたら、みんなから遅れちゃう!もっとちゃんと生活しなさい!ほら、明日の学校の準備はしたの?」
と、怒られていたとします。
そうすると、本来ののんびり屋さんの自分は隠して、なにごとも如才なくこなすというか、先回りして準備する、しっかり者の自分として生きるようになるわけです。
けれども、そうして隠した自分を教えてくれる「シャドウ」が、目の前に現れるんです。
仕事の同僚のAさんなんだけど、いつものんびりマイペースで、見ているとイライラする。
それなのに、周りから強く怒られることもない…自分はこんなにも、いろんなことをいっぺんにこなしているのに…
そうしたとき、この「マイペースな本来の自分」を抑圧したのは、なぜかという問いと向き合うわけです。
そうです。
親の期待に応えたかったんですよね。
もちろん、そこには打算的なものもあったかもしれないですし、嫌々そうしていたのかもしれません。
けれども、そこにあったのは、「お母さんに笑っていてほしい」「お母さんを笑顔にしたい」という想い、愛だったのではないでしょうか。
こことつながるのが、「シャドウ」を受け入れる上で、とても大切なんですよね。
そして、もっと言うならば、お母さんのしつけもまた、自分の望む形での愛を与えてくれなかったかもしれないけれど、自分を愛するための行動だったんだ、と受け入れ、許していくことでもあります。
こことつながると、「シャドウ」への嫌悪も、ずいぶんとゆるんでくるかと思います。
そのゆるんだ分、「自分もまた、そう生きてもいい」と、自分に許可を出せるようになりますし、その分、肩の力を抜いて生きやすくなるのです。
今日は、そう生きられなかった、過去の自分の選択を愛する、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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