大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

そう生きられなかった、過去の自分の選択を愛する、ということ。

「シャドウ」が見せてくれるのは、抑圧し、隠してきた自分の姿です。

そう生きなかった選択をするには、なにがしかの理由があるのですが、その理由を愛することがとても大切なのです。

1.「シャドウ」への嫌悪と、嫉妬

昨日の記事では、「シャドウ」への嫌悪と嫉妬、というテーマでお伝えしました。

「シャドウ」への嫌悪は、嫉妬である。 - 大嵜直人のブログ

ここのところのテーマは、「シャドウ」の心理ですね。

私たちは、自分のなかに嫌っている部分、認められない部分、愛せない部分を持っています。

その部分を嫌ってしまうには、それで誰かから嫌われたり、大切な人に悲しい思いをさせたり、笑顔にできなかったりといった経験やできごとからなのですが、何にせよ、誰のなかにもそうした「自分が自分を嫌っている部分」があります。

そうした嫌っている部分を抑圧していると、それが自分の外側の世界に現れるようになります。

その嫌っている要素を強く持った人が、目につくようになるんですよね。

大嫌いな人。許せない人。絶対コイツみたいになりたくないという人。

そう感じる存在を、「シャドウ」と呼んだりします。

「シャドウ」が教えてくれるのは、自分のなかにそうした部分が存在していることであり、それを受け入れ、許し、愛してあげなさい、というサインです。

「シャドウ」への嫌悪って、自分のなかにその要素があるがゆえの同族嫌悪であり、またほんとうはそうしたいのに…という「嫉妬」だったりします。

これ、認めるにはすごくエネルギーの要ることですが、自分を受け入れ、肯定し、愛していくなかでは、必ず必要になるプロセスです。

だから、昨日の記事では、まず「あれは、実はわたしなんだ」と認めることからはじめましょう、とお伝えしました。

2.そのままでは、生きられなかった私

「シャドウ」が教えてくれるのは、もう一つの私の生です。

「そのままでは、生きられなかったわたし」

なんですよね。

だから、言ってみれば「シャドウ」って、自分自身の可能性を教えてくれる存在であり、また「こんな風に生きることができたのかも」という存在です。

ちょっと表現は変かもしれないですが、パラレルワールドでは、私は「シャドウ」のような生き方をしていたのかもしれない、そんなイメージです。

それは、私たち自身が、自分であきらめた生き方であり、また自分で閉ざした道の先にいる存在でもあります。

だから、激しく嫉妬するし、それゆえに「シャドウ」は許しがたく感じるんですよね。

「あ、こいつ…!!こっちは我慢に我慢を重ねて、その生き方をやめたのに、なんでそのままの生き方をしてるんだ…!?」

「えぇ…わたしがやりたくてもできなかったことを、軽々としている…なんで??」

といったように。

そりゃあ、ムカつきますよね。

嫉妬もしますよね。

羨ましくもなりますよね。

悔しいくもなりますよね。

その人を否定したくもなりますよね。

それ以上に、そう生きなかった自分を否定したくもなりますよね。

「シャドウ」と向き合うのは、そんな苦しさがあります。

だから、単に「あの人キライ」のままにしておく方が、ラクなんですよね。

でも、それは自分を抑圧したままになりますので、結局、苦しくなっていきます。

3.そう生きなかった理由を愛する

こうした「シャドウ」と向き合う苦しさ。

それを和らげるための視点が、一つあります。

そもそも、私たちがその生き方(「シャドウ」の生き方や在り方)をしなかった、抑圧してきたのには、何らかの理由があるわけです。

本来の自分、生来の自分。

そうした自分を抑えて、隠して、言ってみれば仮面をつけて生きることを選んできた。

それには、何らかの理由があるんですよね。

その理由と向き合い、その選択をした自分を愛することが、「シャドウ」を扱う上で、とても大切なテーマになります。

たとえば、本来はマイペースで、のんびり屋さんの気質の人がいたとします。

けれども、お母さんのしつけが厳しくて、毎日毎日、

「そんなにのんびりしていたら、みんなから遅れちゃう!もっとちゃんと生活しなさい!ほら、明日の学校の準備はしたの?」

と、怒られていたとします。

そうすると、本来ののんびり屋さんの自分は隠して、なにごとも如才なくこなすというか、先回りして準備する、しっかり者の自分として生きるようになるわけです。

けれども、そうして隠した自分を教えてくれる「シャドウ」が、目の前に現れるんです。

仕事の同僚のAさんなんだけど、いつものんびりマイペースで、見ているとイライラする。

それなのに、周りから強く怒られることもない…自分はこんなにも、いろんなことをいっぺんにこなしているのに…

そうしたとき、この「マイペースな本来の自分」を抑圧したのは、なぜかという問いと向き合うわけです。

そうです。

親の期待に応えたかったんですよね。

もちろん、そこには打算的なものもあったかもしれないですし、嫌々そうしていたのかもしれません。

けれども、そこにあったのは、「お母さんに笑っていてほしい」「お母さんを笑顔にしたい」という想い、愛だったのではないでしょうか。

こことつながるのが、「シャドウ」を受け入れる上で、とても大切なんですよね。

そして、もっと言うならば、お母さんのしつけもまた、自分の望む形での愛を与えてくれなかったかもしれないけれど、自分を愛するための行動だったんだ、と受け入れ、許していくことでもあります。

こことつながると、「シャドウ」への嫌悪も、ずいぶんとゆるんでくるかと思います。

そのゆるんだ分、「自分もまた、そう生きてもいい」と、自分に許可を出せるようになりますし、その分、肩の力を抜いて生きやすくなるのです。

今日は、そう生きられなかった、過去の自分の選択を愛する、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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