時候は「立秋」を過ぎて、「処暑」に入りました。
「暑さが止む」という意味の時候であり、厳しい暑さが峠を越したように感じる時期とされます。
朝晩は少し涼しく感じるようになり、秋の虫の鳴き声、稲穂が垂れ始めたりと、秋を感じさせるようにもなる時期でもあります。
…のはずなんですけれど、いかんせん、暑さがやみません。
処暑、残暑と呼ぶには、あまりにも暑い日が続くようです。
「寒の戻り」ではないですが、またピークの暑さに戻ったかのように、厳しい暑さの日が続いているのが、私の住んでいる名古屋です。
日によっては、37度以上の体温を超えるような暑さの日もあり、まだまだ当分、この暑さは続きそうな気配です。
七十二侯では、「綿柎開(わたのはなしべひらく)」。
綿の花のがくの部分が開き、ふわふわの綿毛が見えてくるころとされます。
なかなか、綿の花を直に見ることがないのですが、綿もまた、この暑さに参っているのでしょうか。
何度も書いていますが、気温や季候は、人の感情や情感に大きく影響を与えるように思います。
暑い国には暑い国の気質が、そして寒い国にはそれに見合った気質が、育つように思います。
常夏の島の住人と、緯度の高い国々の人と、考えることや観念が違うのは、当たり前といえば当たり前で、もちろん、そのどちらがいいも悪いも、ないのですが。
これだけ、夏の暑さが厳しくなり、また春と秋が短くなってくると、私たちの情感や気性にも、何がしかの影響はあるのでしょう。
こういった変化って、なかなか変わった後からは気づきにくいものです。
夏が過ぎゆくのが惜しかったこと、私たちが何を感じていたのか。
何を、大切にしていたのか。
そういったものは、どうしても忘れてしまうものですし、また残りづらいものでもあるのでしょう。
そういった意味では、まだ「過ぎゆく夏」を惜しいと感じることを覚えているうちに、感じていることを書き残しておきたいと思うのです。
それが、何ともないことであったとしても。
さて、これだけ暑くても、先日川沿いを歩いていると、赤トンボが飛んでいました。
暑すぎる残暑の中でも、その姿を見ると、季節は過ぎ行くのだな、と感じるのです。
暑さは厳しくとも、そのなかでも変わりゆくものもある。
その変化に、目を凝らしていきたいものです。
されど、暑い日が続きます。
これをお読みのあなたさまも、どうぞご自愛くださいませ。
