大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

葉月の訪れと、寂しさについて。

さて、8月。

葉月になりました。

葉月という呼び名からすると、新緑の5月を想像するんですが、違うんですよね。

由来は諸説あるようですが、「葉落ち月」が略されたものという説があるようです。

木々の葉が落ちて、紅葉になるころとされますから、少しいまの8月とは、季節感が違うのでしょうか。

とくに、夏真っ盛りの8月上旬のいまごろからすると、「どこが?」となりますけれども、8月は秋へのはざかいではあるようです。

夏から秋への移り変わり。

それは毎年訪れるものではありますが、いつも寂しさをともなうようです。

盛りのものが、終わりゆく寂しさ。

燃えていたものが、消えていくはかなさ。

それを肌で感じられるから、寂しさもまたあるのでしょうか。

8月は、特にそれを感じる月のようです。

 

この寂しさとは、なんでしょうね。

つながりの欠如、あるいは、満たされない、もの悲しさ。

そうしたものを寂しさと呼ぶのであれば、この8月に感じる寂しさというのは、不思議なものです。

まだ失われてはいないけれど、もうすぐ失われるもの。

それが見えているから、寂しいと感じる。

不思議なのは、それが失われたあとでは、寂しさはあまり感じないんですよね。

真冬に、夏が過ぎ去った寂しさを感じることはありませんし、むしろ春の訪れを心待ちにするなど、寂しさとは異なる情感があります。

すでに失われたものには、寂しさを感じない。

けれども、いまあるもの、いま持っているもの、そして、それがまさに失われようとするとき、寂しさを感じる。

ずっと持っていたい、ずっといっしょにいたいという、人の欲が、それを感じさせるのでしょうか。

それとも、そのいまあるものへの愛おしさが、寂しさに変わるのでしょうか。

私の感じる寂しさとは、後者であるような気がするのですが、あなたにとっての寂しさは、どうでしょうか。

 

それはともかくとして。

8月が、この寂しさを特に感じさせる月であることは、間違いないようです。

その寂しさとともに、過ぎゆく季節を愛でていたいと思うのです。