「手放し」のプロセスが進むと、寂しさを感じることがあります。
それは、その対象との距離が適切に空いてきたからこそ感じるものであり、プロセスが順調な証なのです。
1.「手放し」とは関係性を終わらせることじゃない
昨日の記事では、「手放し」とは関係性を終わらせることじゃない、というテーマでお伝えしました。
「手放し」は関係性の終わりではなく、お互いに自由を与えること。 - 大嵜直人のブログ
ここのところ、執着と手放しのテーマですね。
何かの対象に執着していると、私たちは苦しさを感じます。
多いのはパートナーですが、仕事や会社、お金、コミュニティ、はたまた過去の実績といったように、実にさまざまなものに私たちは執着してしまいます。
こうした執着を癒すのが、「手放し」と呼ばれる心のはたらきです。
「手放し」とは、その対象を好きな気持ちを保ったまま、適切な距離を空けることを指します。
こう聞くと、手放すとその対象との関係性が終わってしまうように感じてしまうのですが、それではないんですよね。
「手放し」とは、関係性の終わりではなく、自分と相手と、お互いに自由を与えることなんですよね。
手放した先に、何が待っているのかは、手放して見ないことには分からないんです。
関係性が薄れることもあるでしょうし、お互いにもう一度選び直す、ということだって、あるのでしょう。
もちろん、関係性が薄れても、その先にお互いが歩いていく道が、再び交差することも、あるのでしょう。
ただ、変わらないのは、その相手を想う気持ちと、相手の幸せを願う気持ちでしょうか。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.「手放し」のプロセスでは寂しさを感じるもの
こうした「手放し」のプロセスでは、「寂しさ」を感じることが多いものです。
特に、順調にプロセスが進んでいるときに、感じることが多いものです。
いままで、そこにあったものが、なくなってしまったような寂しさ。
そうした寂しさを、感じることがあります。
なんだか、手持無沙汰のような。
そんな感覚です。
お恥ずかしい話ですが、私は小さいころに着ていたパジャマを、小学生くらいまで、ずっと寝るときにそばに置いていたんですよね。
ずっとその「ぼろ」と寝ていたんですが、あるとき、さすがにもう汚くなったので、それを処分しようと思い立ったのです。
それで、お世話になったその「ぼろ」を処分して、一人で?寝ることにしたのですが、そのときの寂しさというか、物足りなさというか…そういった感覚に似ているように思います。
ものすごく、個人的な話ですが笑
もっと分かりやすい例でいえば、禁煙した時の口寂しさ、といった感じでしょうか。
ただ、こうした「寂しさ」は、決してネガティブなものではなく、手放しが進んでいるからこそ、感じるものなんですよね。
相手や執着の対象との心理的な距離が空いた分、感じる寂しさです。
「あれ、なんか、やることがないな」と感じることもあります。
いままで執着にエネルギーが向いていた分、それをしなくていいとなったら、やることがないように感じてしまうのです。
3.手持ち無沙汰になったら、順調だと思うこと
だから、何かを手放そうとしているとき、そのプロセスで「寂しさ」や「手持ち無沙汰」を感じたなら、それはとても順調ということです。
相手との距離を、適切な距離にすることが、できているからこそ、感じるものだからです。
いままでは、それを「もっと近寄らないと」としていたところでしょうから。
そして、その「寂しさ」を感じたら、それを埋めようとしたり、焦らないことです。
焦って別のもので埋めようとすると、またそれに執着してしまったりしますから。
その「寂しさ」に、身を浸してあげることが、とても大切なことなのでしょう。
そうしているうちに、その「寂しい」という感覚が、変容していきますから。
手放しのプロセスで感じる「寂しさ」は、その過程が順調に進んでいる証なのです。

今日は、「手放し」のプロセスで「寂しさ」を感じたら、それは順調な証、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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