大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

愛せない痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることから。

誰かを愛せないとき、私たちは強い痛みを感じます。

この痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることからスタートするのがいいようです。

1.愛せなかったことの方が傷つく

昨日の記事では、愛せなかったことの方が傷つく、というテーマでお伝えしました。

愛されないよりも、愛せなかったときの方が、深く傷つく。 - 大嵜直人のブログ

依存と自立のお話からの流れでしたね。

私たちは、依存時代に傷ついた分、自立しようとします。

「もう、あんな痛い思いはしたくない」という想いから、人に頼るのをやめて、自分でなんでもやろうとします。

この依存時代の痛みというのは、自分の思った通りに与えてもらえない痛みです。

ただ、この痛みの本質は、「もらえない」「欲求が叶わない」ことではないんですよね。

自分が思ったように愛してもらえないことも、もちろん痛いんです。

けれども、それ以上に、自分が愛したい人を、自分が愛せないことの方が、痛いのです。

人は、誰かから愛されなかったことよりも、自分が愛せなかったことの方が、傷つくといえるのでしょう。

ほんとうは自分が愛したいのに、相手が与えてくれないから愛せないというのは、自分の本音に嘘をついているから苦しいし、傷つくんです。

昨日の記事では、そんな依存の痛みの本質について、お伝えしました。

2.愛されない痛み、愛せない痛み

愛されない痛みは、受動的です。

ある意味で自分の外のできごとであり、そういった意味では、天気のようにコントールできないものといえます。

楽しみにしていたバーベキューの日が、土砂降りの雨になったりしても、それはそれでどうしようもないですよね。

「あぁ、残念だなぁ」となるし、「晴れてたらなぁ」とも思うでしょう。

「なんだよ、天気の神さまは、意地悪だな」とも、思うかもしれません。

けれども、それが「自分自身の選択ではない」というのは、逃げ道というか、心の置きどころとしては、楽なんですよね。

いや、楽ではないかもしれませんが笑

「天気が悪い」「神さまが悪い」と同じように、「愛してくれないあの人が悪い」と思えるのは、逃げ道があるんです。

けれども、愛せない痛みというのは、この逆で、逃げ道がないんですよね。

なぜなら、愛する、愛さない、というのは、自分自身の選択だからです。

相手がどうあれ、愛することを選ぶのは、自分です。

相手のどうあれ、愛さないことを選ぶのもまた、自分です。

だから、愛さないという選択、あるいは憎むという選択は、自分自身が選んでいると感じる分、キツイんです。

その分、罪悪感も感じますしね。

そういった意味でも、愛せない痛みは、自分を責めるし、またその痛みも大きいものです。

3.まずは愛そうとしたことを認めるところから

さて、こうした愛せない痛み。

これを癒すには、という点に、少し触れてみたいと思います。

冒頭にもお書きした通り、この痛みを抱くのは、依存時代が多いものです。

自分の欲しい愛が与えてもらえない。

自分の欲求が、叶えてもらえない。

そうしたときに、「じゃあ、もうこっちも愛してあげない!」となって、「自分でなんとかする!」となるのが、自立です。

このときに、「自分の大切な人を、愛せない痛み」を抱いてしまうのですよね。

ほんとうは大切な人であり、愛する人なのに、その人の言動次第で、自分が愛せなくなってしまう。

でも、そもそも、その痛みって、「(その人を)愛そうとしたから」感じるものではないでしょうか。

ちょっと、禅問答のように聞こえるでしょうか笑

愛せなくて傷つくのは、愛そうとしたからです。

大切な人を、愛そうとしたからこそ、傷つくんです。

そうでなければ、傷つきもしないのでしょう。

大切なのは、自分が愛そうとしたこと、それを認めることからスタートすることかもしれません。

傷つくのも、罪悪感を持ってしまうのも、自分が愛そうとしたからこそ。

その愛に、価値を認めてあげることが、こうした愛せない痛みを癒す一歩目になるのです。

今日は、愛せない痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることから、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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