誰かを愛せないとき、私たちは強い痛みを感じます。
この痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることからスタートするのがいいようです。
1.愛せなかったことの方が傷つく
昨日の記事では、愛せなかったことの方が傷つく、というテーマでお伝えしました。
愛されないよりも、愛せなかったときの方が、深く傷つく。 - 大嵜直人のブログ
依存と自立のお話からの流れでしたね。
私たちは、依存時代に傷ついた分、自立しようとします。
「もう、あんな痛い思いはしたくない」という想いから、人に頼るのをやめて、自分でなんでもやろうとします。
この依存時代の痛みというのは、自分の思った通りに与えてもらえない痛みです。
ただ、この痛みの本質は、「もらえない」「欲求が叶わない」ことではないんですよね。
自分が思ったように愛してもらえないことも、もちろん痛いんです。
けれども、それ以上に、自分が愛したい人を、自分が愛せないことの方が、痛いのです。
人は、誰かから愛されなかったことよりも、自分が愛せなかったことの方が、傷つくといえるのでしょう。
ほんとうは自分が愛したいのに、相手が与えてくれないから愛せないというのは、自分の本音に嘘をついているから苦しいし、傷つくんです。
昨日の記事では、そんな依存の痛みの本質について、お伝えしました。
2.愛されない痛み、愛せない痛み
愛されない痛みは、受動的です。
ある意味で自分の外のできごとであり、そういった意味では、天気のようにコントールできないものといえます。
楽しみにしていたバーベキューの日が、土砂降りの雨になったりしても、それはそれでどうしようもないですよね。
「あぁ、残念だなぁ」となるし、「晴れてたらなぁ」とも思うでしょう。
「なんだよ、天気の神さまは、意地悪だな」とも、思うかもしれません。
けれども、それが「自分自身の選択ではない」というのは、逃げ道というか、心の置きどころとしては、楽なんですよね。
いや、楽ではないかもしれませんが笑
「天気が悪い」「神さまが悪い」と同じように、「愛してくれないあの人が悪い」と思えるのは、逃げ道があるんです。
けれども、愛せない痛みというのは、この逆で、逃げ道がないんですよね。
なぜなら、愛する、愛さない、というのは、自分自身の選択だからです。
相手がどうあれ、愛することを選ぶのは、自分です。
相手のどうあれ、愛さないことを選ぶのもまた、自分です。
だから、愛さないという選択、あるいは憎むという選択は、自分自身が選んでいると感じる分、キツイんです。
その分、罪悪感も感じますしね。
そういった意味でも、愛せない痛みは、自分を責めるし、またその痛みも大きいものです。
3.まずは愛そうとしたことを認めるところから
さて、こうした愛せない痛み。
これを癒すには、という点に、少し触れてみたいと思います。
冒頭にもお書きした通り、この痛みを抱くのは、依存時代が多いものです。
自分の欲しい愛が与えてもらえない。
自分の欲求が、叶えてもらえない。
そうしたときに、「じゃあ、もうこっちも愛してあげない!」となって、「自分でなんとかする!」となるのが、自立です。
このときに、「自分の大切な人を、愛せない痛み」を抱いてしまうのですよね。
ほんとうは大切な人であり、愛する人なのに、その人の言動次第で、自分が愛せなくなってしまう。
でも、そもそも、その痛みって、「(その人を)愛そうとしたから」感じるものではないでしょうか。
ちょっと、禅問答のように聞こえるでしょうか笑
愛せなくて傷つくのは、愛そうとしたからです。
大切な人を、愛そうとしたからこそ、傷つくんです。
そうでなければ、傷つきもしないのでしょう。
大切なのは、自分が愛そうとしたこと、それを認めることからスタートすることかもしれません。
傷つくのも、罪悪感を持ってしまうのも、自分が愛そうとしたからこそ。
その愛に、価値を認めてあげることが、こうした愛せない痛みを癒す一歩目になるのです。

今日は、愛せない痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることから、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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