どんな自分でも、ともに生きる。
それを決めると、「いま」を生きることができるようにもなります。
1.「ともに生きる」ことと、自己受容
昨日の記事では、「ともに生きる」ことと自己受容の関係、というテーマでお伝えしました。
「ともに生きる」ことと、自己受容の深い関係。 - 大嵜直人のブログ
もとは、女性性が育むのは「ともに生きる」という世界、というお話からのつながりでした。
成熟した女性性は、「自立」を癒します。
「自立」とは、何でも一人だけでやろうとする心理であり、それゆえに孤独感や孤立を抱えやすくなります。
それを癒すのが女性性であり、「わたし」だけの世界から、「わたしたち」で「ともに生きる」という世界に導いてくれます。
これは「自立」の先にある、「相互依存」のステージの象徴でもあります。
自分でできることは自分でする、自分にできないことは誰かを頼る、という、ある意味でとてもシンプルなステージですね。
さて、この「ともに生きる」ということは、私たちの自己受容に、大きな関係があります。
私たちが自分を受け入れるとき、どうしてもそこに「(受け入れて)いい自分」と「悪い自分」の線引きをしてしまいがちです。
「この自分はOK」「この自分はダメ」といったように。
しかし、真の自己受容とは、「どんな自分も受け入れる」ことであり、「どんな自分にもOKを出す」ことといえます。
これができると、誰かと「ともに生きる」ことができるようにもなります。
自分にダメ出しをしない分、その視線を周りの人にも投影するわけですね。
昨日の記事では、そんな「ともに生きる」ことと自己受容の関係について、お伝えしました。
2.短所や欠点を隠したままでいると、起こること
この自己受容の視点は、とても大切な視点ですので、今日はこれをもう少し掘り下げてみます。
というか、いつもこの話題を書いているような気もします笑
自己受容や自分を愛するといったとき、その対象というのは「自分がOKを出した自分」に偏ってしまいがちです。
多くの場合、それは親をはじめとした、周りの人に認められた、受け入れられた自分なわけです。
しっかりしている自分だったり、周りを気遣える自分だったり。
そうした自分「だけ」を認めて愛そうとすると、徐々に苦しくなっていきます。
短所や欠点だと自分が思っている部分を、絶対に外に出せないから。
「こんな自分を出したら、愛されない」
「問題だらかの自分では、いけない」
そう思えば思うほど、自分の負の部分を心の奥底に沈めてしまいます。
でも、いつも「OKな自分」でいないといけない状態って、しんどいですよね。
常に舞台の上で出演中の俳優さんよろしく、ずっと緊張して演技していないといけないわけですから。
この「短所や欠点を隠した自分」のままでいると、自分自身がしんどいのもそうですが、周りとの関係にも影響を及ぼします。
自分の奥底に隠した、ダメな自分や、短所や欠点だらけの自分。
それは、自分の周りの人に投影されるんですよね。
具体的に言えば、周りの人の欠点や短所、ダメなところばかりが、目につくようになります。
「あの人は、あんな性格だから、ダメなんだ」
「彼のこんなところが、許せない」
みたいに。
ご想像の通り、いつも誰かの欠点や短所、ダメなところが目につくというのは、なかなかしんどいし、生きづらいものです。
3.ともに生きる、いまを生きる
だから、「ともに生きる」なんです。
成熟した女性性は、実に広く大きなものを受け入れることができます。
それは、
「これも、自分なんだからしゃあないかな」
「まあ、それも私だよね」
といった具合に、受け入れるおおらかさを持つことです。
まあ、そもそも短所や欠点なんて、見る人が違えば、いくらでも長所や資質になりえます。
どんな自分でも、「ともに生きる」。
最高の、自己受容ですよね。
それは、「自分がこうなったら」とか、「相手がああだったら」とか、そういった条件を付けなくなる、ということでもあります。
そうすると、表現を変えると「いまを生きる」ことが、できるようになるんですよね。
過去を悔いたり、未来を憂うことなく、いまを生きることができるようになるわけです。
だって、どんあ自分であっても、大丈夫なわけですから。
どんな自分も、「ともに生きる」こと。
それは、「いま」を生きることができるようにもなるんです。
今日は、どんな自分も一緒に生きることができると、「いま」を生きることもできるようになる、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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