もう3月に入りましたね。
弥生、ひな祭り、卒業式、そして桜。
春を強く感じさせる言葉やイベントがある、切り替わりの月ですね。
時候では「雨水」の終わりごろ。
七十二候では、「草木萠動(そうもくめばえいずる)」。
まさにその字の通り、草木が芽生え、その薄い緑色を見せ始めるころです。
冬の凛とした日差しから、やわらかな春の日差しに変わりゆくころでもあります。
生命の芽吹きを感じる、春の本格的な訪れといったところでしょうか。
ここのところ、2月下旬の厳しい寒気が少し緩んで、なんなくぼんやりとした一週間だった気がします。
その気温の上昇につられてでしょうか、各地から梅の花の開花の報せが届き、梅見のイベントも行われているようです。
私の住んでいるところでも、いつもの散歩道に、梅の花が咲いていました。
枝の先に咲いた、小さな花。
昨日までは気付かなかったので、きっと今日咲いたのでしょうか。
それとも、寒さが緩んで、私がぼんやりしていたのでしょうか笑
小さな白い梅の花。
そして、少し赤らんだ顔のような、紅色の梅。
春を告げるのに、これほどふさわしい花もないような気がします。
暖房や食料事情が、いまよりもずっと厳しかった、その昔。
厳しい冬を越し、春を告げる梅の花が開くよろこびは、どれほどだったのでしょう。
古来より、梅の花が愛でられてきたのが、よくわかる気がします。
遠くから眺めても、近くに寄ってみても、梅の花は美しいですね。
それは、桜の花とも似ているのかもしれません。
それにしても。
つい先日まで、「この厳しい寒さは、いつまで続くのか…」と思っていたのですが、季節は変わりますね。
変わるときには、変わる。
時が満ちれば、変わる。
それは、ずっと変わっていないように見えていても、少しずつ、少しずつ、見えない部分で変わってきているのでしょう。
あの梅だって、今日急に咲いたわけでは、ないように。
冬の厳しい寒さの間、木枯らしが吹くころにも、固い蕾のなかに栄養を蓄えて。
少しずつ、少しずつ。
目には映らない変化かもしれないけれど、日々、少しずつ。
それが、春を迎えると、一斉に花開くのですから。
何も変わっていないように感じたとしても。
それで、自分を責めなくても大丈夫です。
変わるときには、変わる。
この弥生のころの、春の訪れのように。
もし、春が訪れることを信じられるのなら。
自分を、未来が変わることを信じても、いいのかもしれません。
あの堅い蕾が、こんなに小さく美しい花を咲かせるのですから。