「才能」がある分野ほど、自分に厳しくなってしまうものです。
厳しいことが悪いことではありませんが、自己受容とのバランスを取っていくことが大切になるのです。
1.「才能」についての自己評価はアテにならない
先日の記事では、「才能」についての自己評価はあてにならない、というテーマでお伝えしました。
「才能」の自己評価があてにならない理由。 - 大嵜直人のブログ
自己評価、あるいはセルフイメージというのは、カウンセリングのなかでも非常によく出てくるテーマの一つです。
よくあるのは、自分が自分にしている評価と、自分に対して周りがしている評価のギャップです。
それが、要らぬ葛藤を招いたり、問題となったりするんですよね。
たとえば、東京大学に行った人が、周りが優秀な人ばかりで、「自分なんて大して頭よくない」と思ってしまったら、周りからは「えぇ?何言ってんの?」となりますよね。
学歴はともかくとして、その人の資質とか、才能とか、そういった分野でも、このギャップというのは往々にして起こるものです。
こと、「才能」とよばれる部分では、まさにそうです。
ここでいう「才能」とは、自分に与えられた「ギフト」としての意味合いですね。
与えられているがゆえに、息を吐くようにできること。
それが、「才能」と呼ばれるものです。
そうした「才能」は、当たり前にできるがゆえに、それができることに価値を感じづらいんですよね。
それは、息を吸って吐くことが、当たり前で何の意識もしていないことと、似ているのかもしれません。
先日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.「才能」がある分野ほど自分に厳しくなる
この「才能」を「投影」の視点から見てみるのが、今日のテーマです。
「投影」とは、自分のなかの感情、あるいは過去の経験、価値観、観念などを、外の世界に映し出す心のはたらきを指します。
もし、自分のなかにある種の「才能」があったとすると、それを周りに映し出すものです。
たとえば、「仕事はできるけど、教えるのが下手な人」って、いますよね。
プレイヤーとしては優秀なんだけれど、部下や後輩に教えるのが、あまりうまくない人、まわりにいませんでしょうか。
そういう人は、「自分ができること」を周りに投影してしまっている可能性があります。
すると、自分ができる=周りも当たり前にできるはず、という見方になるので、教えられる側とのギャップがそこで生まれるんですよね。
(もちろん、すべての人がそうではないでしょうけれども)
同じようなことが、自分の「才能」と呼ばれるような分野でも、起こってしまうことがあります。
自分ができることは、周りも当然にできるはず。
それゆえ、周りができないと、「なんでこんな簡単なことが」「なぜこんな当たり前のことが」と、不満を感じたりします。
そして、もし何らかの事情で自分ができなかったりすると、必要以上に自分を責めてしまったり、厳しくしてしまったりするのです。
「なぜ、こんなことくらいできないんだ」という視点を、自分に向けてしまうんですよね。
「才能」のある分野ほど、自分に厳しくなってしまうものなんです。
3.厳しいことと自己受容のバランスを
厳しいことは、一概に悪いことではありません。
自分に厳しくするがゆえに、その「才能」を磨き、向上させることができるからです。
先ほどの東大の人の例でも、「自分なんて、まだまだ」という意識を持つことで、さらに学問に励んだりすることもできるのでしょう。
自分に厳しくすること自体は、悪いことばかりではありません。
ただ、それは自分の「才能」を自覚した上でするならば、という条件がつきます。
その「才能」を自覚せずに、自分を責めてしまうのは、自分を磨くというよりは、自分いじめに近くなってしまいますよね。
だから、自分の「才能」が何なのか。どういったところにあるのか。
それを知っておくことは、非常に大切なことです。
だから、私のカウンセリングでも、そうした才能や価値、魅力といったものをお伝えすることを、大切にしています。
それを知ったうえで、その分野については、自分に厳しくすることと、自分を受容すること、許すこと、愛することとのバランスを、自分なりにとっていけるといいのでしょう。
今日は、「才能」がある分野ほど、自分に厳しくなってしまうもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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