桜の開花の報が、各地から届きはじめました。
私の住んでいる名古屋でも、咲き始めました。
川沿いの道を歩いていると、咲いているのを見かけました。
今年は直近の数年よりも、少しだけ遅めのようですが、それでも咲くのですよね。
桜が咲くと寒の戻りがあると言われますが、ここのところは曇り空だったり、雨が降ったりしていますが、それでも桜が咲くと、明かりが灯ったように感じます。
来週は、青空の下での桜が見られるでしょうか。
それにしても。
咲く前は咲く前で「いつ咲くのか」と気をもみ、
咲いたら咲いたで「いつごろ満開になるのか」とそわそわし、
満開の花の下では「もう散ってしまうのか」ともの悲しくなる。
実に桜の花というのは、私たちの心をとらえて離さないようです。
春は、なにかと変化の時期でもあり、心がせわしない時期でもあります。
気温や季候の変化もそうですし、生活や仕事の変化の時期でもあるのでしょう。
そんな時期に、桜は咲く。
それは、気忙しさがもっと重なって大変なこともあるのでしょうけれども。
そんな時期に咲いて、散っていく桜があるからこそ、ということもあるのでしょうか。
そんなことを思うのも、私もまた桜が好きなのでしょう。
歳を重ねるほどに、桜を咲くのが当たり前ではないように感じるようになりました。
時が満ちれば、もちろん咲くんですけれどね。
「その」桜が、いま咲くということ。
そして、自分がその桜の前に立ち、それを眺めることができる、ということ。
それは、当たり前ではないんですよね。
ある意味で奇跡のように感じるようになりました。
歳をとった、ということなんでしょうか笑
ただ、それとまったく逆に、当たり前のように桜が咲くということもまた、ありがたいと感じるようにもなりました。
歳を重ねるほどに、いろんな春を経験するものです。
美しい春。
希望に満ちた春。
あたたかな春、やわらかな春。
あるいは、そうではない春。
そうした春をいくつ重ねても、それでも桜は咲く。
それでも、桜は咲く。
桜は、咲く。
桜が、咲く。
その当たり前が、ありがたく、美しく、また切ないのです。
今年もまた、桜が咲きました。