大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「傷ついたのは、罪悪感によってだれかを支配しようとしたから」

「傷ついた」と感じるとき、まずはそんな自分をいたわり、休ませてあげることが大切です。

しかし、その傷を外気に晒すことで、治りが早くなる場合もあります。

「傷つく」ことについての、そんな少し辛めのものの見方と、その用法についてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.傷ついたのは、罪悪感によってだれかを支配しようとしたから

「傷つく」とは、あなたが闘いに敗れたということです。

私たちは自分が傷つくことで相手に罪悪感を感じさせ、それによって自分の欲求を満たそうとしたり、相手を思いどおりに動かそうとします。

つまり情緒的な脅迫といえます。

 

人を支配しようとする試みは、けっして幸せをもたらすことはありません。

あなたの欲求を満たしてもくれません。

それはさらに大きな闘争を招くだけです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.26

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2.「傷つく」ことの見方を変える

傷ついたときには、まず休む・いたわる

今日のテーマは、いつにもまして、手厳しいですねぇ・・・

思い当たる節がありまくりの私です、はい。

「傷つく」ことの見方を変えるテーマなのですが、聞くタイミングによっては、痛いテーマかもしれません。

見方を変えることを、「癒し」と呼びます。

砂利の上にいくつも引かれた直線が、空から眺めてみると、実は明確な意志を持って描かれたナスカの地上絵だったり。

少年漫画であるように、不倶戴天のライバルが、いつの間にか最高の仲間になっていたり。

あるいは人生最悪だと感じた出来事が、時間が経つと「あれがあったからこそ」と感じるようになったり。

そんな見方を変える「癒し」ですが、それにはタイミングが必ずあります。

良薬も、用法を間違えると劇薬になります。

傷ついている時には、無理に動いたり、何かしようとせず、じっと休んで、いたわってあげることが大切なのだと思います。

動物だって、傷を負ったら、すあなでじっとその傷を舐めて治すのでしょう。

ますはそれをお伝えした上で、今日のテーマに入ろうと思います。

罪悪感で人をコントロールしようとする

「傷つく」とは、相手に罪悪感を与える行為だというのが、今日のテーマです。

罪悪感にも、いろいろな種類があります。

ここでいう罪悪感とは、一番メジャーな種類の、「加害者の心理」と呼ばれるものです。

「誰かを傷つけてしまった」という、加害者の側が抱くものですね。

「自分は悪いことをした」
「罪を犯してしまった」

と感じますから、

「罰を受けないといけない」
「裁かれないといけない」

といった心理になります。

「傷つく」ことは、相手にその罪悪感を与えることで、相手を支配、コントロールしようとする行為だといいます。

「あなたのせいで傷ついたんだから、私に償いなさいよ」

「私が傷ついたんだから、あなたは罰を受けなさい」

という無言の脅しをしているわけですね。

私自身、傷ついた経験を思い出してみても、当てはまりますね・・・思い切り、イヤなのですが笑

けれど、この試みはまったくうまくいきませんでした。

たとえ、相手がその脅しに屈して、自分の思い通りになったとしても。

今度は、その脅しと罪悪感がブーメランとなって、自分に返ってくるからです。

被害者は加害者を責めることで、今度は加害者となるわけです。

そして、加害者の側の罪悪感を、今度は自分が抱えることになります。

このループは、果てることなく続きます。

引用した言葉にある通り、「それはさらに大きな闘争を招くだけ」でした。

はい、私もだいぶこれを繰り返してきましたね、ほんと泣

傷つくかわりに、贈り物を捧げよう

そうして自分の感情を、相手を思い通りに動かすための道具として使うかわりに、「贈り物をあげよう」と本書は伝えています。

パートナーと争って、さまざまなかたちで相手をあやつろうとするのではなく、かわりに贈り物をあげましょう。

あなたが惜しみなく心から贈るものであれば、実際に品物をあげてもいいし、あなたの気持ちを贈ってもいいでしょう。

同上

「贈り物」とは、質量をもつ物品(花束、手紙、あまいもの、いろんなものがあります)でもいいし、気持ちを贈ってもいい。

気持ちとは、祈り、祝福といったものと同じなのでしょう。

神社に参拝して祈りを捧げたとき、とてもスッキリとした感じを受けます。

それと同じように。

傷つくことで相手をコントロールしようとするかわりに、贈り物を捧げる

とても尊い行為です。

3.その見方が真実だったとしても

たとえそうだったとしても、だから悪い訳ではない

ということで、「傷つく」ことについての見方をみてきました。

しかしながら、たとえ今日のテーマの見方に思い当たる節があったとしても、それ自体は決して悪いことではありません。

それは、何度でもお伝えしていきたいと思います。

新しいものの見方を得たときに、それ以前の自分を責めることは、悲しいことです。

過去の自分が間違っていたとか、そんなことは絶対に思わなくてもいいのです。

だって、そうせざるを得なかっただけなのですから。

もし傷つくことで、相手に罪悪感を与え、支配しようとしていたのだとしたら。

それだけ、その相手のことを大切に想っていた、とはいえないでしょうか。

だって、自分から好んで傷つく人は、いないのでしょうから。

ということは、その人はむしろ、持っている愛が深い方なのではないでしょうか。

傷を見るよりも、そこにある愛を見つめる

そんな見方を、自分に対してしていきたいものです。

自分を傷つけることができるのは、自分しかいない

最後にもう一つ、違った見方をお伝えします。

「傷つけられ」と感じることが、生きていく中では起こります。

しかしながら、あなたを傷つけることができるのは、あなた自身しかいません

世界で最も硬い鉱物であるダイヤモンドを加工するには、同じダイヤモンド自身の粉末で研磨するそうです。

誰しもが、この世でたった一人しか持っていない、かけがえのない価値を持っています。

そんなダイヤモンドである自分を傷つけることができるのは、自分自身しかいません。

そう考えると、傷ついたと感じる時は、自分自身のかけがえのない価値を思い出すことが、最も大切なことなのでしょう。

私のカウンセリングの中では、お会いする方のかけがえのない価値を見つめ、それを余すことなくお伝えしていきます。

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