大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

その人の生にとってポジティブなものの見方を「真実」とよび、それは癒しをもたらしてくれる。

「事実」と「真実」はちがう、とよく言われます。

「事実」とは、実際に起こったできごとですが、「真実」はそのできごとをどう受け止め解釈するのか、というちがいがあります。

「真実」の見方を得ることを「癒し」とよびますが、そんな見方についてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「真実」はつねに助けになります

活気のない死んでいるような状態や対立のさなかで、どうしたらいいのかわからないときも、真実があなたを引きこもりの穴から脱出させ、前に進めてくれます。

 

「真実」とは、与えることが形になってあらわれたものです。

あなたが口にしていない真実は何ですか。

パートナーやだれかに対して口に出さずに抑えている真実とは何でしょうか。

いま、その真実こそ重要なのです。

それがあなたを自由にしてくれます。

 

ただし相手に一気にぶちまけるのはやめましょう。

そうすることは、もっと深いところにある感情について真実を語っていないということです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.223

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2.「事実」と「真実」のちがい

今日のテーマは、「真実」です。

「癒し」ともつながる、とても重要な概念です。

獅子は我が子を先人の谷に落とす

心理学では、よく「事実」と「真実」はちがう、と表現したりします。

「事実」とは、実際に起きたできごとを指し、それは誰が見ても客観的な事実として変わりはありません。

いっぽう、「真実」とは、起きたできごと(=事実)を自分がどう受け止めるか、というものです。

哲学者のニーチェの言葉で、

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

というものがありますが、まさにその解釈と近いように思います。

たとえば、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という諺があります。

そんなシチュエーションが、実際にあったとします。

「親ライオンが、子どもライオンを、千尋の谷に落とした」

これが、「事実」ですね。

客観的な事実で、誰が見てもそのできごとは同じなわけです。

これに対して、さまざまな解釈が生まれます。

「あの親ライオンは、育児を放棄したんだ」

「親ライオンは、子どもが嫌いだったのだろう」

「自分の子どもを谷に落とすなんて、ありえないことだ」

そのできごとを見る人それぞれに、いろんな受け止め方をすることと思います。

もちろん、それは当事者である、親ライオン、子ライオンにとっても、同じです。

その解釈が正しい/間違っているという判断は、ここでは触れません。

その人それぞれに、解釈をすればいいのかもしれません。

「真実」とは、その人の生にとってポジティブなものの見方

しかし、「真実」とは、その解釈の中で、与えることが形となったもの、と引用文では言っています。

「真実」とは、与えることが形になってあらわれたものです。

さまざまな解釈の中で、与えることが形になったもの、それが真実である、と。

少しわかりづらいでしょうか。

言葉を変えるのであれば、「真実とは、(その人の生にとって)ポジティブなものの見方」と言い換えられるかもしれません。

先ほどのライオンの例でいえば、

「親ライオンは、子ライオンを深く愛するがゆえに、心を鬼にして試練を与えたんだ」

という解釈が、「真実」といえるのでしょう。

3.癒しとは、「真実」の見方を持つこと

「癒し」と「真実」

この「真実」が、「癒し」と深くかかわってきます。

「癒し」という言葉からは、どこかふんわりとした、あるいは超能力のような、そんな言葉の印象を受けるかもしれません。

しかし、心理学でいう「癒し」の意味は、少し違います。

それは、「ものごとの見方をポジティブに変えること」を指します。

ずっと抱えてきた、「私は愛されない」という思い込みが、ひっくり返ること。

「私には何の価値もない」といった観念を持った方が、「どれだけ私は人を愛してきたのだろう」ということに気づくこと。

カウンセリングをしていると、そんな瞬間に立ち会うことがあります。

それが、「癒し」とよばれるものです。

もちろん、私自身も、カウンセリングを受けたりする中で、たくさん経験してきました。

「癒し」とは、ものごとの見方をポジティブに変えること

それは、「真実」の見方をもつことともいえます。

だから、私のカウンセリングでは、いろんな見方を提示することがあります。

それが正しい!というわけでもなく。

もしかしたら、こういう見方もできるのかもしれない、と。

もちろん、それを「真実」として採用するかどうかは、クライアントさまが選ぶことです。

「過去」と「未来」との関係

よく、「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」という表現を聞いたりします。

一見、もっともらしいのですが、今日の「真実」のテーマに沿って考えると、案外それは逆なのかもしれません。

すなわち、「未来は変えられないけれど、過去は変えることができる」、と。

未来は、まだ起こっていないことなので、いまこの瞬間に変えることはできない。

けれど、過去をどう解釈するか、そこからどんな真実を得るかは、いまの私にできることだ、と。

愛されていないと思っていた、過去。
いろんな失敗をした、過去。
恥をかいてしまった、過去。
ひどいフラれ方をした、過去。

そうした過去のできごとを、もう一度「真実」の視線で見ることは、いまこの瞬間にできるわけです。

「私は、ずいぶんと愛されていた」
「失敗して、よかったな」
「あのタイミングで気づいて、よかった」
「あの人、いまどうしてるかな、幸せに暮らしているといいな」

そう思えたとき、過去が輝きだします。

黒歴史だと思っていた過去が、かけがえのない、ダイヤモンドの輝きを放ちはじめます。

そして、その輝きは、もともとあなた自身がもっていた輝きだったと気づくのでしょう。

カウンセリングの中で、そんなことをお伝えしていきたいと私は思っています。

 

今日は、「真実」と「癒し」をテーマにして、お伝えしました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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