何かから分離したとき、へだたりを感じたとき、人は痛みを感じます。
そして、それを怖れて、あらゆる問題をつくります。
それを癒すのは、愛されることではなく、愛することのようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.唯一の問題は「へだたり」であり、愛はそれを癒す
どんな問題も、もっとも基本的な原動力までつきつめていけば、最終的に残るものは怖れとへだたりです。
ですから、すべての問題の解決法はとても簡単です。
それは愛することです。
愛することはへだたりを癒すことであり、橋をかけ、絆を結ぶことです。
目に見えてあらわれるものは、罪悪感でも怖れでも病気でも、また、へだたりを感じさせるどんな対立でも、愛と許し、そして絆を使いましょう。
それはすべてのことをひとついまとめる接着剤のようなものであり、問題は消えてしまいます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.225
2.分離が、問題をつくる
今日のテーマは「へだたり」、あるいは「分離」です。
何かと分離したとき、私たちは問題を抱えます。
怖れか、愛か
怖れか、愛か。
心の深いところでは、そのどちらかしかない、といわれます。
怖れとは、過去の痛みをもとに、暗いストーリーを描くこと、と言い換えられます。
その反対に、愛とは、自らの価値から目を逸らさずに、見続けることです。
そして、怖れのもとになるのは、今日のテーマである「へだたり」が大きいのかもしれません。
家族、友人、パートナー、社会、仕事…
何かから分離したと感じるとき、人は強い痛みを感じます。
それゆえに、同じような状況をとても怖れるわけです。
そして引きこもるか、あるいは分離しないような自分の仮面をかぶります。
すると、今度は、自分自身との間に「へだたり」を感じたりします。
へだたり、分離。
それは、あらゆる問題の出発点ともいえるのでしょう。
3.愛と親密感
いかにして、愛するか
へだたり、分離が問題の源泉なのだとしたら。
それを、もう一度くっつけることが、問題を解決する方法なのでしょう。
つながり、親密感、温もり、安心感。
そういったものが、すべてを癒してくれます。
こう書くと、なんだかすごいことを書いている気がしますが、実に当たり前のことですよね笑
誰でも、へだたり、分離、孤独はしんどいものですから。
けれど、なかなか分離の渦中にいると、そうは思えないものです。
難しいのは、へだたりや分離を感じているときには、「愛される」方に目がいきがちなことです。
与えられる側に、意識が向いてしまう。
いかにして、愛されるか。
どうやったら、自分は愛されるのか。
そうしたことを、研究しだしてしまうのが、人の性なのでしょう。
けれども、解決法は、その逆なんですよね。
すべての問題の解決法はとても簡単です。
それは愛することです。
「愛すること」である、と。
自分から、つながりをかけることである、と。
問題の解決法は、「いかに愛されるか」ではなく、「いかに愛するか」なのだ、と。
あなたは、そしてあの人は、どんな愛し方をする人でしょうか
いかにして愛するか。
愛することを、相手との間に架け橋をかけ、絆を築くものだとするなら。
どうやって架け橋をかけるか?を考えることは、とても大切なことなのでしょう。
たとえば、川や海を隔てた陸地に橋を架けるとき。
いろんな建築方法があると思います。
残念ながら私は建築を学んでいないのですが笑、両方の陸地から陸橋を伸ばす方法や、川のなかにくさびを打つ方法、いろんな方法があると聞きます。
自分にとっての橋の架け方、コミュニケーションの方法、ひいては愛し方は、どんな方法なのだろう。
そして、相手の橋の架け方、コミュニケーションの方法、愛し方は、どんな方法なのだろう。
それを考えてみることは、大きな気づきと癒しをもたらしてくれます。
あなたは、どんな愛し方をする人なのでしょう。
あの人は、どんな愛し方をする人なのでしょう。
少し考えてみると、見えていなかった橋が、見えてくるかもしれません。
愛することはへだたりを癒すことであり、橋をかけ、絆を結ぶことです。
この一文、とても素敵ですよね。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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