あまりに辛いことがあると、人は心理的に引きこもりってしまいます。
そのような孤独を抱えた人には、見守る愛が最高の贈り物になります。
そのためには、まずは自分自身からといういつもの原則と、孤独を感じられる人の才能についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.孤独な人に手をさしのべたとき、その人は癒され、あなたは贈り物を受けとる
あなたのまわりに、ひとりぼっちで孤立している人がいたら、その人があなたを必要としていることに気づいてください。
その人は人生であまりにもつらい経験をして、自分の内側に引きこもってしまったのです。
実際、人生のあらゆる問題は、こういった引きこもりの結果なのです。
その人が洞窟の奥深くに隠れてしまったのを見つけだしてあげましょう。
そしてその入口に立って、愛と微笑みを降りそそいであげましょう。
その人を愛していれば、どこに姿を隠してしまったのか、あなたには見つけられるはずです。
その人とつながったとき、あなたの愛が相手をつき動かし、癒しのなかへと導きます。
するとその人はふたたび前に向かうことができるようになり、孤立や病気、苦痛から抜け出していきます。
それによってあなたもまた贈り物を受けとるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.38
2.心理的な引きこもりと、それを癒すもの
あまりに辛いことがあると、人は引きこもる
人は生きる中で、いろいろな辛い経験をします。
それは失恋や死別といった別れであったり、親しい友人とのいさかいだったり、あるいは自分への失望だったりします。
あまりに辛い経験をすると、人は心理的に引きこもります。
それは、引用した文にある通り、深い洞窟のなかに隠れてしまうようなものかもしれません。
そうして、周りとのかかわり、つながりを断とうとします。
それが、さまざまな問題を引き起こしてしまいます。
もちろん本人は、したくてやっているわけではありません。
ただ、そうせざるを得なかった、というだけです。
孤独を癒すのは、見守る愛でつながること
私自身も、長いこと孤独を抱えてきました。
深い洞窟のなかに隠れる感覚というのも、よく分かります。
ある一定の距離がある人間関係はうまくやれるのですが、それよりも関係性を深めようとすると、ダメでした。
深い洞窟の底からだと、怖いのですよね。
やさしさが、人のあたたかさが。
そうした深い孤独を癒すのは、引用文に書かれている「見守る愛」なのでしょう。
腕をつかんで、洞窟から引っ張り出すのではなく、「入り口に立つ」。
そして愛と微笑みを贈る。
もちろん、それが受け取れない時もあります。
あるいは、引きこもったままの時もあります。
私自身も、そうでした。
それでも、いつかはつながります。
その洞窟が深ければ深いほど、そこにずかずかと立ち入るよりは、愛と信頼を持って「入り口に立ち続ける」ことが必要なのでしょう。
それは、「見守る愛でつながる」と言い換えても、いいのかもしれません。
3.孤独を感じられることは、人を癒す才能になる
主体性の原則 ~まずは、自分自身から
この「傷つくならば、それは「愛」ではない」は、パートナーシップについて書かれた内容がメインですが、今日のように普遍的なテーマもあります。
そして、どのテーマにも共通することがあります。
それは、自分以外の誰かとの関係性をテーマにしているように見えて、実は自分自身の内面との関係にも当てはまる、ということです。
パートナーシップの最も基本となるのは、自分自身とのパートナーシップです。
目の前の相手に対しての関わり方と同じくらいに、自分自身に対してどう関わるか、ということが大切になります。
そのことを、今日のテーマに当てはめると、「自分自身の孤独」に気付いてあげることが重要になってきます。
私たちのこころの内にいる、孤独でうつろな目をした、私自身。
それは、子どもの頃の私かもしれませんし、学生時代の私かもしれませんし、働き出した頃の私かもしれません。
部屋の片隅で、膝を抱えてうずくまっている、傷ついた私。
大切な人の孤独を癒そうとするならば、まず最初にその私自身に、愛を差し向けることが必要になるのでしょう。
「いつまで引きこもっているの!」とか、
「もういい加減に前を向きなさい!」とか、
そんな風に言う必要はありません。
ただ、洞窟の入り口に立って。
そのうずくまっている私を、ただじっと見つめて。
「寂しかったよね」
その一言を、かけてあげるだけです。
ただそれだけで、すべては変わっていきます。
その一言は、めぐりめぐって、周りの大切な人を癒すまでになります。
それは言い換えると、孤独を感じられる人ほど、人を癒す才能を持っている、と言えるのかもしれません。
ただうなずいてくれた、あるシェフとの思い出
ただ、洞窟の入り口に立つこと。
それを想うとき、私はあるシェフのことを思い出します。
社会人として勤め始めたころ、私は深い孤独の中にいました。
当時、仕事でお世話になった方がいました。
パティシエを、されている方でした。
何度か一緒にお仕事をさせていただくうちに、私の抱える闇を感じ取ったのでしょう。
あるとき、一日の営業が終わった後の弛緩した時間に、聞かれました。
「お前、ずっとしんどそうだな。何を抱えとるんや」
私の洞窟の入り口に、立ってくれたのかもしれません。
つとつとと、私は洞窟の闇を、お話ししました。
初めてのことだったかもしれません。
一通り、私が話し終えると、シェフは
「そうか」
と言って、ただうなずいてくれました。
シェフは私を、洞窟から引っ張り出したり、無理矢理に前を向かせようとしたり、そうしたことはありませんでした。
ただ、うなずいてくれました。
翌日、朝一番に、私はシェフに御礼を言いに行きました。
「おう。今日も、よろしくな」
昨日までと変わらず、シェフは黙々と手を動かし続けていました。
その手から絞り出されるマロンクリームが、くるくると渦を巻いていきました。
いくつもの美しいモンブンランが、手際よく並んでいきいました。
その時間がなければ。
そのシェフが、洞窟の入り口に立ってくれなかったら。
人生のタラレバを考えても、あまり意味はないのですが。
もしかしたら、今こうして、カウンセリングをご提供していることもなかったのかもしれません。
ただ、そんなことを想うのです。
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