大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分の外側ではなく、内側にあるという構造がよく似ている、「幸せ」と「自信」について。

「青い鳥」の物語でいわれるように、「幸せ」とは自分の外側ではなく、内側にあるものです。

それは、「自信」の構造とよく似ているようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.内面から生まれた幸せは、失われることがない

自分の外側にあるもので幸せになろうとすると、それがなくなったときに幸せもいっしょに失われてしまいます。

ところが内面から愛と幸せを自分に与えていると、困難な状況にぶちあたっても癒されつづけ、無限に成長し、よろこびが大きくなるのを感じるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.246

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2.「青い鳥」が物語として成立する理由

自分の内面に幸せを見出すことが、難しいからこそ

今日のテーマは、心理学に限らず、いたるところで語られるテーマですよね。

チルチルとミチルの「青い鳥」など、似たようなテーマを伝える物語も多いものです。

「外」の国々を、さんざん探し回っても見つからなかった「幸せの青い鳥」は、目が覚めると部屋の中の鳥かごにいた、と。

まさに、今日の引用文そのままですよね。

自分の幸せ、幸福。

そういったものを、外に探すとロクなことがない。

そのことが語られる物語や寓話は、「青い鳥」に限らず、多いものです。

しかし、逆から見てみると、「青い鳥」が物語として成立するのは、それだけ自分の内面に幸せを見出すことが難しいことを、示しています。

「交通ルールを守りましょう」という標語があるのは、交通ルールが守られていない地域だからのように。

「あいさつをしましょう」というポスターが貼られているのは、あいさつをしない人がいるからこそように。

「青い鳥」の初演は、1908年だそうです。

そこから100年以上経ったいまでも、その物語に私たちは何らかの意味を見出します。

人が自分の幸せを、外側に求めてしまうことは、いまも昔も変わりはないようです。

それだけ、自分の内面から自分自身に幸せを求めることは、簡単なことではないのかもしれません。

3.「幸せ」と似ている「自信」

「幸せ」とよく似ている「自信」

この「自分の幸せ」に似た構造のものに、「自信」があります。

自分の外側に根拠を求めた「自信」は、その根拠がなくなったときに、ポキっと脆くも折れます。

勤めている会社、年収、フォロワー数、身につけているもの、社会的な地位、フォロワー数…そうしたものに紐づいた「自信」は、それを上回る存在が現れたときに、ポキンと折れてしまうものです。

少しイヤらしい書き方になってしまったのですが、「そうしたものは、ほんものの自信ではない」と言っているわけではありません。

もちろん、そうしたものが「自信」を与えてくれる場面もあります。

また、自分の内面から信頼できたときに、先に挙げたものがやってくることもあるでしょう。

ただ、自分以外の何かに、「自信」の根拠を依存していると、後から痛い目を見ることがあります。

えぇ、誰でも経験があることではないでしょうか。私もそうです笑

では、自分の内側に根拠がある「自信」とは、なんでしょうか。

「内面から生まれた幸せ」を、「自信」に置き換えると、どんな自信になるでしょう。

それは、「根拠のない自信」といえそうです。

「〇〇があるから」、「〇〇ができるから」といった、できることやあること(持っている事)に根拠を置いた「自信」ではなくて。

「なーんにもなくても、なーんにもできなくても、ただ、私が私であるだけで、大丈夫」

そう思える、根拠のない「自信」は、最強です。

何があっても、失われることがありません。

そうやって見ていくと、今日のテーマである「自分の内面から生まれる幸せ」とは、「どうあっても、私は幸せである(幸せを感じられる)」と感じられることともいえます。

それは、「幸せ」への感度を上げる、と言い換えることもできます。

ほんの小さなことで幸せを感じられることこそが、「自分の内面から生まれる幸せ」といえるのでしょう。

これも、よく言われることではありますが。

「根拠のない自信」は、どこで芽生えるか

さて、そういった「根拠のない自信」は、どうした身につくのでしょうか。

あるいは、ほんの小さなことで幸せを感じられる感度は、どうやったら磨けるのでしょうか。

もちろん、それは「訓練」のように、鍛えることもできると思います。

けれど、「根拠のない自信」、あるいは「幸せの感度」が、否が応でも磨かれるときがあります。

それは、自分の「自信」が崩れ去ったとき、あるいは、不幸せとしかいいようがない状態に陥ったときです。

積み上げた「自信」が砂上の楼閣だと知ったとき。

その痛みのなかで人は、それでも失われない自分自身に出会います。

いままでの幸せが、脆くも崩れ去ったとき。

その絶望のなかで人は、当たり前がどれだけの奇跡に満ちあふれていたかを知ります。

自信を失わせるようなできごとや、不幸せだと感じること。

一見するとそれは、できるだけご遠慮願いたいことだと思うのですが。

もしかしたらそれは、不幸せの仮面をかぶった、幸せなのかもしれません

陰極まれば陽となす、ではありませんが。

そんな風に、感じるのです。

 

今日は「幸せ」について、よく似た構造の「自信」とともに、お伝えしてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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