大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自立的な人ほど、忘れられない過去の誰かにしがみついたまま、それを隠している。

自立的な人ほど、実は過去の誰かにずっとしがみついています。

それは、失恋などの痛みや悲しみもそうですし、その反対に喜びに執着することもあります。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自立している人の最大の秘密は、まだ過去のだれかを手放していないこと

あなたは心のどこかでまだ、過去のだれかにしがみついているのです。

それはたぶん失恋の経験かもしれません。

つらい経験をずっと否定していると、「自立」の段階にとどまりつづけ、いつまでも「相互依存」の段階に進むことができません。

するといきいきとした豊かな関係をもつよろこびが現在に見いだせなくなります。

 

そうでなければ、あなたは過去のすばらしかった思い出をくりかえしなつかしみ、その人がふたたびあなたの前にあらわれることを夢見ているのかもしれません。

でも、過去にしがみついていると、あなたの空想上の肯定的なところが実際に現実化するのを妨げてしまいます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.248

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2.自立的な人ほど、過去に執着している

今日のテーマは、ずいぶんとイヤな話ですねぇ…ほんと笑

隠しておきたい、自立的な人の秘密について、つまびらかにしてくれるようです。

自立的な人ほど、弱さを隠している

「私はなにもできないから、誰か何とかしてほしい」が依存。

「私がなんでもやるから、他に誰もいらない」が自立。

これまでも、何度もここで触れてきましたが、人の心は「依存」から「自立」へと成長のプロセスをたどります。

しかし、「他に誰もいらない」という自立的な人ほど、実は過去のだれかに執着している、というのが今日のテーマです。

はい、イヤですねぇ、ほんと。図星なだけに笑

「誰もいらない、一人でいい」という人ほど、実は「この人さえいてくれたら」という想いを隠しています

「語るに落ちる」とは言いますが、まさにその通りですよね。

「いいよ、オレは一人で生きるから」

そう言って、波止場の出っ張りに片足をかけて、たそがれている人ほど、「ボクちゃん、かまってほちいの…」というオーラを醸し出しているものです笑

あぁ、もう自己紹介のようでイヤですねぇ、今日のテーマは、ほんと(3回目笑)

これが、素直になれたら、世のいさかいの多くは、解消するような気もするのですが…
なかなか素直になれないものですよね。

「悲しみ」も「喜び」も、執着になりうる

一般的には、「自立」とは、「依存」の時代に辛い、痛い経験をして、もうそうした経験をしたくないから、一人で何とかしようとします。

引用文にある、失恋なんてのは、その最たるものですよね。

「こんな辛い想いをするのなら、もう一人で頑張って生きる!」と、

ここで、その封印した辛い感情を癒し、それでももう一度、他人と生きていくことを選ぶことに、人間的な成熟はあります。

しかし、驚くべきことに、そうした失恋のような「痛み」だけではなく、「喜び」のようにポジティブな経験や記憶にもまた、私たちは執着します。

そうでなければ、あなたは過去のすばらしかった思い出をくりかえしなつかしみ、その人がふたたびあなたの前にあらわれることを夢見ているのかもしれません。

これ、私自身はすごく思い当たるフシがあります。

両親を亡くした「痛み」は、それはそれとしてあるのですが、それよりも、両親と一緒に暮らした時間の思い出に、執着してしまう。

「あのころは、あんなにもよかった」

それは、簡単に「いまは、そうじゃない」という、現在の自分への否定に反転します。

そしてそれは、ご想像の通り、自分への足かせとなって、新たな一歩を踏みださないようにさせます。

これは心理学では、「モニュメント」と呼ばれたりもしますね。

過去の記念碑に、ずっとしがみついて、「いま」を否定してしまう心理です。

失恋のような悲しみ、痛みのみならず、喜びもまた、執着の原因になりうる

それは、自立的な人が、もう一歩前に進むためのヒントでもあります。

3.「いま」を生きるために

執着を手放すために

「痛み」も「喜び」も、人はどちらにも執着してしまう。

ならば、やはりそれを「手放す」のが、「自立」からもう一歩前に進むためのカギになります。

そして、「手放し」の第一段階としては、やはり「感情の解放」になります。

悲しみを、辛さを、感じきること。

それらを、否定しないこと。

それとともにある、ということ。

執着を手放すことは、感情を感じきることから始まります。

つらい経験をずっと否定していると、「自立」の段階にとどまりつづけ、いつまでも「相互依存」の段階に進むことができません。

いつまでも、過去の誰かを忘れられず、「一人で生きるもん!」と、背を向けて生きる。

過去の思い出を忘れられず、「あの頃はよかった」と、過去に生きる。

そんな「自立」から、「いっしょに生きる」、あるいは「いまを生きる」ために、できること。

それは、感情を感じきることです。

辛い、悲しい体験を、あたかもそれが存在しなかったかのように、扱わないこと

感情には、心の世界には、時間の概念がありません。

何年、何十年前に起きたとこであっても、「いま」の痛みとして、きちんと感じてあげること。

それは、自分を愛することと同義です。

過去の痛みや悲しみを否定することは、自分を否定すること

そうして執着を手放していくと、少しずつ、軽やかに歩めるようになります。

先の「モニュメント」でいえば、その建てられた記念碑が、やがて周りに花が咲き、鳥が歌い、そして少しずつ苔むしていくように。

「手放す」とは、執着の対象を、捨て去るわけでも、なかったことにするわけでもありません。

過去の痛みや悲しみを否定することは、自分自身を否定することです。

悲しみも、喜びも。

大切なものとして、自分のなかにしまったまま、一緒に歩いていく

それが、執着を手放すということであり、「いまを生きる」ということであり、また相互依存の世界を歩く、ということなのでしょう。

今日は自立的な人が抱える執着について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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