大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

心が閉じて固くなってしまうときは、過去の痛みを癒すためのタイミング。

怖れを感じると、私たちの身体は「きゅっ」と固くなります。

それは心も同じようですが、固くなるほどに、かえって大きなケガをしてしまうこともあります。

そういったときは、実は何かを癒すタイミングを教えてくれるようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自己防衛をしなければ、あなたは安全になる

何ひとつ身を守らずにいれば、あなたはしだいにうまくいくようになりますが、逆に身がまえるほど、攻撃を呼びいれてしまいます。

思い出してください。

あなたが防衛へとつき動かされるのは、内面にうもれている過去の痛みを感じないようにするためです。

けれども奥にうめこまれたその痛みが、結局は私たちを害するのです。

このことに気づいていれば、攻撃も癒しの助けになります。

攻撃されたら、感情を感じることを怖れないでください。

オープンさがコミュニケーションの核心です。

「オープンさ」とは、与えることができ、何も言い訳をせずに自分自身のままでいられる能力です。

真実は防衛を必要としません。

私たちのエゴはすべての痛みを隠し、あらゆるものを切りはなしますが、防衛を必要としているのはこのエゴだけです。

自分の防衛の壁をとりはらうたび、また別の贈り物が与えられます。

それはまわりの人々からの援助です。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.251

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2.やわらかさと「防衛」

今日のテーマは、「防衛」でしょうか。

自分を守ろうとするときは、実は何かを癒すタイミングを教えてくれるようです。

やわらかきは万能なり

怖れを感じると、私たちの身体は「きゅっ」と固くなります。

いきなり大きな音がしたり、急に何かが飛んできたりすると、身体がこわばり、身を小さく固めてしまいます。

それは、身体的な脅威をやりすごすための、本能的な「防衛」なのでしょう。

しかし、逆説的ではありますが、固くなっている方が、怪我が大きくなることもあります。

たとえば、スポーツにおいては「身体のやわらかさ」は、非常に大切です。

筋肉や関節、腱など、いろんな部位の「やわらかさ」がありますが、柔軟性は身体のパフォーマンスを上げ、ケガを予防してくれるそうです。

やわらかい方が、ケガをしにくい。

逆に、固い身体の方が、大きなケガを招きやすい。

それは、スポーツの経験がある方は、なんとなく分かる感覚ではないでしょうか。

かくいう私は、身体が固いんです。

放っておくと、すぐに肩も腰もカチカチになってしまうので、できる範囲でストレッチを続けています。

やはり、ストレッチをしていると、身体がラクなんですよね。

忙しかったりして、ストレッチができない日が続くと、肩や腰や股関節が固くなって、むずむずした感じを受けることがあります笑

すいません、話がそれてしまいましたが、身体においては、やわらかさというのは、とても大切なようです。

防衛しようとするなら、そこに「痛み」がある

さて、これを心の世界におきかえてみます。

何らかのできごとによって、自分の心が「きゅっ」と固くなり、閉じてしまうこと。

何か警戒し、身構え、城門を閉じてしまう。

時に、そんなふうに感じることがあります。

それを、「防衛」という心の反応と呼ぶとします。

それは、いろんな人とのコミュニケーションのなかで、起きることかもしれません。

先に見た身体的な「防衛」は、何がしかの恐怖、痛み、不安によって、引き起こされるものでした。

それを、心情的な「防衛」におきかえてみると。

私たちが、自分の心が「きゅっ」と閉じてしまうとき。

それは同じように、何かに対して、自分の心が怖れや痛み、不安を感じていることなのかもしれません。

身体の場合もそうであるように、心が「防衛」の方向に向いて固まってしまうと、新たな痛みを引き起こしたりします。

それは、時に孤独感であったり、あるいは罪悪感であったりします。

しかし、それを逆から見てみるならば、心が「防衛」しようと感じるとき、それは何がしかの過去の痛みが、癒されようとしているとき、と見ることもできます。

私たちは、過去に経験した痛みを怖れて、心を閉じます。

そうだとするなら、その過去に経験した痛みを癒すことが、心をやわらかく保つために大切なことなのでしょう。

そして、その痛みとは、「感じきる」ことで癒されるものです。

3.心のやわらかさ、オープンさ、素直さ

心のやわらかさとは、オープンであるということ

心が「防衛」に働いていないとき、私たちはオープンでいられます。

オープンであるとは、必ずしも社交的であるとか、フレンドリーであるとか、そういったことに限りません。
(もちろん、そういったことも、オープンさではありますが)

ここでいう「オープンであること」とは、「自分の感じていることに、素直であること」です。

それは、喜びや嬉しさ、愛おしさといった、ポジティブな感情のみに限りません。

寂しさや悲しさ、悔しさといった、ネガティブな感情に対しても、オープンである、ということです。

ただ、自分の感じていることに素直に、そしてあるががままに、自分自身のままで、いられること

それが、「オープンであること」です。

「オープンさ」とは、与えることができ、何も言い訳をせずに自分自身のままでいられる能力です。

オープンになるほどに、自分に素直になるほどに、私たちはそれを相手に対しても投影していきます。

そうすると、「防衛」する必要のないコミュニケーションが取れるようになっていきます。

オープンであるほどに、周りから助けを受けられる

心が「防衛」しようと感じるとき。

そこには、何らかの癒されるべき過去に痛みが、自分の心のなかにあります。

その痛みを感じきることの恩恵は、とても大きなものがあります。

心がやわらかさを取り戻し、周りに対して開かれていきます。

わざわざ城壁を築いて、自分を守らなくてもよくなるんですよね。

そうすると、周りから助けを受けることができたり、自分の望むコミュニケーションが取れたり、愛を受けとることができるようになったりします

私も、とても強い「防衛」を感じていたころ。

絶対に失敗してはいけないし、周りに迷惑をかけてはいけない、と思っていました。

何をするにしても、万里の長城のような城壁から、批判されないようにして行動していました。

それが、カウンセリングだったりを受けながら、心がやわらかさを取り戻していくうちに。

周りからの助けを、少しずつ受けとれるようになっていきました。

とはいえ、まだまだ「防衛」を感じる場面はありますし、まだまだ道半ば、ですけれどね。

とはいえ、引用文にある通り、その「防衛」の壁を取り払うたびに、また恩恵を受けとれるようになるのでしょう。

自分の防衛の壁をとりはらうたび、また別の贈り物が与えられます。

今日は「防衛」について、身体と心のやわらかさとあわせてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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