大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いま、この瞬間だけは、大丈夫なんだ。

過去を悔い、未来を憂うとき、私たちの意識は怖れと痛みにとらわれます。

けれども、「いま、この瞬間」だけは、何も起こっていません。

私は息を吸い、そして吐いている。

そのことは、私たちに絶対的な安心感を与えてくれるようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「いま、この瞬間」にいえれば、怖れを感じることはない

未来に生きようとするのは、未来が過去のようになるのではないか、と思っているからです。

ところが、本当は「いま現在」に「未来」を生きるのは不可能なことです。

それをしようとすると、現在に緊張と怖れが生まれます。

 

とても困難な状況にいるとき、たった五分先のことでも未来を考えようとすると、たくさんの怖れをつくりだすことになります。

もし、「いま現在」という瞬間に生きれば、どんな困難な状況でもまったく変わっていきます。

そして、未来も変わっていくのです。

そして、同時に怖れも消え去り、まさに「いま」という瞬間が解放のとき、与えるときに変容するのです。

 

「いま」この瞬間、「ここ」にいることで、永遠と愛の扉が開かれます。

それは怖れとは正反対のものです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.259

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2.「いま」「ここ」の心理

ジュリア・キャメロンさんの言葉

過去を悔いるのではなく、未来を憂うのではなく。

ただ、「いま」「ここ」にいなさい

「イマココ」というフレーズとともに、よく耳にする真実だと思います。

今日は、「いま」「ここ」がテーマでしょうか。

この「いま」「ここ」を想うとき、私には思い出される一節があります。

少し、引いてみたいと思います。

心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。

私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。

今、この瞬間は、大丈夫なのだ。私は息を吸い、吐いている。

そのことを悟った私は。それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。

 

「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン著(サンマーク出版、原題:The Artist's Way)より

ジュリア・キャメロンさんの「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本からの一節です。

この本は、「やりたいこと」を見つけるためのワークブックであり、いろんなワークが載っていて、私も以前に一通りやってみたことがあります。

その中の、最初のほうに出てくる一節なんです。

この一文に、私はとても共感し、とても励まされ、そして何度も読み返してきました。

もしかしたら、いま、痛みの中にいる方のなかには、共感される方もいらっしゃるかもしれません。

過去、あるいは未来への強烈な怖れ。

こころが、引き裂かれそうに感じるとき。

暗い海の底にいるような、絶望の中にいるとき。

凍えるような孤独に、身を切られそうになっているとき。

人のこころは、いまここにはありません。

思い出すことも痛い過去や、それを想像することも恐ろしい未来、その両方の引力に引き裂かれています

なぜ、あんなことが起こったのか。

これから先、どうしたらいいのか。

そのはざまで、私たちは身をすくめて、動けなくなります。

とても困難な状況にいるとき、たった五分先のことでも未来を考えようとすると、たくさんの怖れをつくりだすことになります。

あまりにも困難な状況、あるいは途方もない痛みを抱えたことのある方は、この感覚を持ったことがあるかもしれません。

過去、あるいは未来への怖れというのは、非常に強烈です。

そのどちらへ意識を向けても、身体がこわばってしまう。

そして、一歩も踏みだすことができず、ただその場で立ち尽くしていまう。

「いま」「ここ」に意識がないとき、人はそんな状態に陥ります。

それは、台風の目のような、嵐の海の底のような。

しかし、その荒れ狂う嵐のなかで、ある静寂の時間に出会うことがあります。

それは、痛み、怖れのなかにいる自分自身を、どこか客観的に、外側から眺めているような感覚とともに訪れます。

それは、荒れ狂う海の底では、静寂が横たわっているようなものかもしれません。

そして、とても不思議なものです。

それが何なのか、いまの私には、まだうまく説明ができないのですが、それでもただ、そんな感覚が訪れることがあります。

私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。

今、この瞬間は、大丈夫なのだ。私は息を吸い、吐いている。

ジュリア・キャメロンさんが言うように、「いま、この瞬間」だけは、大丈夫なんですよね。

たとえ、どれほどの怖れが、痛みがあろうとも、「いま、ここ」だけは、何も起こっていない。

過去に何があっても、未来に何が起ころうとも、「いま、ここ」だけは、絶対的に安全なんです。

私は、息を吸い、そして吐いている。

私は、ここにいる。

そんな、感覚です。

例えるならば、それは、「台風の目」のようなものかもしれません。

もちろん、ずっとその場にとどまり続けることは、難しいものです。

「台風の目」が、常に移動し続けるように。

けれども、一度でもその場所があることを知ると、絶対的な安心感が芽生えます。

たとえ、感情に揺り動かされたとしても。

それでも、私は息を吸い、そして吐いている。

その事実は、いつも私に安心感を与えてくれます。

私は息を吸い、そして吐いている。

私は、いま、ここにいる

いま、この瞬間は、大丈夫なんだ、と。

3.いま、この瞬間だけは、大丈夫なんだ。

「月は庭の上に浮かび、サボテンを銀色に洗っていた」

上に引いた、ジュリア・キャメロンさんの引用文ですが、それに続く一文もまた、私の大好きな一節なんです。

繰り返しになりますが、少し引用させていただきます。

心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。

私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。

今、この瞬間は、大丈夫なのだ。私は息を吸い、吐いている。

そのことを悟った私は。それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。

母が亡くなった晩、電話をもらった私は、セーターを持って家の後ろの丘を登っていた。雪のように白い大きな月が、椰子の木ごしに昇っていた。

その晩遅く、月は庭の上に浮かび、サボテンを銀色に洗っていた。

母の死を振り返ると、あの雪のように白い月を思い出す。

「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン著(サンマーク出版、原題:The Artist's Way)より

雪のように白く大きな月。

その月の輝きが、サボテンを銀色に洗う、という表現。

母親の訃報を受けたキャメロンさんが見た、その情景が、この部分を読むと、ありありと思い浮かぶようです。

キャメロンさんのいう、「この瞬間だけは、大丈夫」という感覚。

キャメロンさんが、脚本、小説、映画製作などの創作活動をされていること。

それは、どこか無関係でないような気がするのです。

過去や未来への怖れ、あるいは引き裂かれるような心の痛み。

その中で、人は「いま、ここ」にいることに気づきます。

それは、過去を過ぎ去ったものにし、また未来を未だ来ぬものにしてくれます。

いくら荒れ狂う嵐が、凍えるような吹雪が、あなたを襲おうとも。

それでも、あなたは大丈夫。

その嵐の中心で、吹雪の地の底で。

変わらず、ただ佇んでいる、あなたがいる。

いま、この瞬間だけは、大丈夫

それは、カウンセリングの中で、あるいは書くことの中で、私がお伝えしたいことの一つです。

今日は、「いま、ここ」の心理に寄せて、お伝えしてきました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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