何かに「期待」しているとき、人は世界への驚きを感動を失います。
それは、周りの人の愛を受けとれなくなってしまった状態です。
結局、流れ着くところに流れていくのですから、無理に力を入れたりせずに、流れに身を任せたいものです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.期待はみずみずしい体験をうばう
あまり期待していると、たとえあなたの思いどおりの結果になったとしても、満足感を味わえないことがしばしばです。
そのうえ自分の要求で頭がいっぱいなので、そこで起こっている出来事のみずみずしさをまったく体験できなくなってしまいます。
期待と目標は別のものです。
目標をもつのはよいことです。
それは生産的で、あなたが前に進むのを助け成功に導いてくれます。
目標からそれてしまったら、もう一度設定しなおせばいいのです。
でも、期待がはずれてしまったら、自分をさんざん責めて、いやな気分になるだけです。
そんなことをしても、何もいいことはありません。
自分の期待を積極的に手放して、あなたにとっていちばんいい道を、宇宙に教えてもらいましょう。
もっとも深いレベルでは、すべてのことがあなたの癒しと成長にいちばんいいように起こっているのです。
それを信頼しましょう。
このことを知り、起こっていることをすべて自分から切りはならないで、あるがままに受け入れていけば、あなたが幸せになるチャンスはとてつもなく大きくなります。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.61
2.期待が引き起こす、いくつかの問題
「こんなにも大きなメロンがあってね!」
前回に続いて、今日も「期待」がテーマですね。
さて、みずみずしい体験という言葉で、想起されるイメージがあります。
アンリ・マティスが、かつて教え子にデッサンの講義をする際に語ったこと。
人がメロンのことを話すとき『こんなに大きなメロンがあってね!』と空中に両腕で丸い線を描いてみせる。
そこに二つの線が、同時に現れる。
それらの線が囲む丸い空間が、話している人の前に現れる。
それがデッサンだ。
一本の腕を使ってそんなふうにデッサンせよ
前田英樹著「絵画の二十世紀 ~マチスからジャコメッティまで」より
芸術は、世界に対する驚きからはじまります。
ともすれば、昨日と何も変わらないようにも見えるこの世界を、驚きの目を持って眺めること。
「こんなにも、大きなメロンが!」
というみずみずしい驚きとともに、両手を使ってその大きさを表現しようとする姿。
マティスにとって、デッサンとはそのようにして、世界を切り取るものだったのかもしれません。
世界を当たり前のように「ある」ものだと見ていると、そんな驚きは得られないものです。
それは、今日のテーマで言うところの、
「こうあるはずだ」
「こうあるべきだ」
「こうでないといけない」
という「期待」を持ってしまっている状態とも言えます。
その「期待」は、世界への驚きと感動を、枯らしてしまうようです。
「期待」していると、周りの愛を受けとれない
「期待」をすると、世界への驚きと感動を失われること。
それは、言葉を変えると、周りからの愛を受けとれなくなる、ともいえます。
みずみずしさの失われた、枯れた世界。
がちがちに城壁を囲って、周りの人も手錠で縛って、自分が「期待」したこと以外は、まるで受け入れない。
「期待」が過ぎると、そんな状態になってしまいます。
そうすると、他国が助けに来ても、「期待」の外にあるから追い返してしまったり、
あるいは、周りの人が愛を差し向けても、「どうせ嫌々やっている」と思いこんでしまいます。
いやぁ、思い当たる節がありありと・・・いや、なんでもありません笑
「期待」が過ぎると、自分が描いたもの以外のものは、受け取れなくなります。
それはとても窮屈で、自分で自分を縛ってしまうかのようです。
そこが、「目標」とは違う点です。
3.あるがままに、川の流れのように
ただ、あるがままに世界を見る
このように、「期待」とは現実からの逃避であり、現実と向き合うことができない状態です。
何度も「期待」しては、その通りにならずに落胆し、
「期待」した通りになっても、満足感が味わえない。
いやぁ、書いているだけでも辛い、蟻地獄のようです。
しかし、マティスのメロンの話ではありませんが、驚きをもって見たとき、世界は彩りとみずみずしさを取り戻します。
世界をあるがままに見たとき、それは驚きに満ちあふれています。
城壁を築いたり、相手を支配しようとしたりせず、ただ、あるがままに見る。
「期待は手放しましょう」とは、よく言われる言葉です。
そこで言われる「手放す」とは、何がしかのコントロールをやめて、この目の前の現実を、ただそのままに見つめることと言い換えられるのでしょう。
もちろん、そこには、いろんな感情が湧いてきます。
そしてその湧いてきた感情によって、
「あれは、よくない」
「こうあるべきだ」
といった判断を入れたくなります。
しかし、その感情と向き合いつづけると、世界のそのままの姿を見られる瞬間が、あります。
ただ、そのままに世界を見ること。
それを、手放しと呼んだりもするのでしょう。
ああ 川の流れのように
本書のワークでは、川下りの旅をイメージするワークが書かれています。
ゆったりと流れる川の上を、小さな舟に乗って、流れていく。
ゆっくりとくつろいで、景色が変わるのを楽しんで眺めている。
そうしているうちに、いつしか下流の「街」に流れ着きます。
それは、思い描いた目標の姿です。
美空ひばりさんの名曲「川の流れのように」の歌詞、そのままの感覚のようです。
オールもコンパスも地図もなくとも。
私たちは、流れるところに、流れつくようになっているようです。
それを、無駄に暴れたり、抵抗したりしていると、ブクブクと川底に沈んだりして、余計に時間がかかってしまうのかもしれません。
とはいえ、それもまた、楽しいといえば、楽しいのですが。
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