何かが停滞しているように感じるとき、「与える」ことに意識を向けると、その状態を抜けだしやすくなります。
「いまの自分には何が与えらえるだろう」と考えることは、とてもクリエイティブな問いであり、自分らしさに立ち戻らせてくれます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.関係性が停滞していたら、与えることによって癒せる
二人の関係が活気がなく、よどんでしまったような状態になっていたら、それはあなた自身が義務感と疲れでゆきづまっているということです。
そこで本当に与えれば、前に進むみ、受けとることができます。
ここで選択しましょう。
どうすれば忙しさから抜けだして、真の心の接触がもてるでしょうか。
どうすれば、もっとあなた自身を与えることができるでしょうか。
それによって自分の寛大さを感じ、「最高のあなた」を感じることができるようになります。
与えれば与えるほど、本来のあなた自身がわかってくるのです。
「自分には何も人に与えるものがない」と感じたときは、天の助けを求めましょう。
すると必要なものはすべて自分がもっているということがわかります。
それはあなたが前に進み、ふたたび流れにのるのに、ちょうど十分なものであるはずです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.278
2.与えて、抜ける
今日のテーマは、「与える」でしょうか。
停滞した関係性に、もう一度活気を取り戻すためのヒントをお伝えします。
いま、自分自身には何が与えられるだろうか?
パートナーシップが、どんよりと停滞しているように感じるとき。
仕事が、どうもうまく進んでいないように感じるとき。
あるいは自分自身が、あまり前に進んでいないように感じるとき。
いろんな場面において、何がしかの停滞感を感じる場面が、あります。
それは、パートナーに対してかもしれませんし、仕事や会社に対して、あるいは自分自身に対してなのかもしれません。
そんなとき、「与える」ということを意識すると、状況が少しずつ動き出します。
「与える」とは、物理的に何かをあげる、という意味だけではありません。
それは、ある対象に対して、自分自身が「いま」できることを尽くすという、とてもクリエイティブな行為です。
この、「いま」できること、というのがポイントです。
往々にして、停滞しているときは、いろんなところに思考が散らかって、動けなくなっている場合が多いようです。
「いま、自分が何を与えられるだろうか?」
その問いは、私たちの意識をいま、ここに引き戻してくれます。
そうすると、不思議と心は平穏を取り戻し、いまできることに集中できるようになったります。
これを、「与えて抜ける」、と表現したりします。
与えられるものが、何もない?
そうはいっても、「与える」という意識を向いたときに、よく出てくるネガティブな想いがあります。
「私なんかに、与えられるものなんて、何もない」
はい、ありますよねぇ、ほんと笑
けれど、こういう想いを持ってしまう方ほど、お話を伺っていると、「いや、もうすでに、十二分に与えてこられてますが…」と感じることが多いものです。
身近な人、大切な人であるほどに、「与える」ハードルが高くなるのは、ほんとよくあるな真理だと思います。
自分には、与えられるものなんて、何もない。
本当に、そうでしょうか。
その人のために、何かをしてあげること。
居心地のいい場所を、つくってあげること。
感謝の言葉を、かけてあげること。
何も言わずに、見守ってあげること。
笑顔で話を聞いてあげること。
その人に、想いを馳せること。
ただ、そこにいてあげること。
あなたが、あなたでいること。
それが、どれくらい大きな恩恵なのか、なかなか私もお伝えしきれないものです。
けれども、「与えられるものなんて、何もない」と思う人ほど、膨大なものを与えて、またそれ以上に与えようとするものです。
大切な人に何かを与えるのに、足りないものなんて、何もないはずです。
ただ、あなたがあなたでいること。
それ以上のことは、何もないものです。
3.受けとる、与える
「受けとりましょう」と、よく聞くけれど?
「与えましょう」と書いておきながら、ここではよく「受けとりましょう」ということを、お伝えしたりします。
周りの愛を、自分の偉大さを、あるいは、これまで与えられてきたもの。
どうしても「自立」が過ぎると、それらを受け取り拒否して、与えようとしすぎてしまうことがあります。
そんなときは、「受けとりましょう」となるのですが、今日のテーマはその正反対のようです。
心理学は「ああ言えばこう言う」学と言われたりもしますが、一見すると正反対に見えるようなことが言われていたりします。
どうも今日のテーマは、その最たるもののような感じがしますね笑
「与える」のか、「受けとる」のか、どちらが正しいのか。
どちらも、正しいのでしょう。
がんばりすぎてしまっている状況では、「受けとる」。
自分のことばかりに目が向いてしまっている状況では、「与える」。
いろんな状況によって、それは変わってくるものです。
どちらかが正しい、ということもなく、どれも正しい。
燦燦と日差しが輝く昼間もあれば、しんと静まり返った真夜中もある。
どちらも正しく、どちらも美しい。
そして、もう一つ深い視点で見るならば、「与える」ことも、「受けとる」ことも、結局は同じです。
「与える」ということは、「受けとってもらう」ことと、同じです。
「受けとる」ということは、「与えさせてあげる」ことと、同じです。
与えるも、受けとるも。
少し引いた視点で見れば、どちらも混然一体となった「愛」を、どちら側から見るか、だけの話なのかもしれません。
今日は、「与える」という心理について、少しお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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