大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「ドラマ」を求める心理と、それをつくったエネルギーをどこに差し向けるか、という視点。

退屈したり、生きることに倦んでいると、人間関係に「ドラマ」を求めたくなります。

そうした「ドラマ」をつくるエネルギーを、どこに差し向けるか、という視点をお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.関係にドラマを求めるか、創造性を表現するか

私たちは退屈しないためにドラマを求めます。

つまり生きていると実感し、自分に何かが起こっているのを感じるためなのです。

そこで創造的なエネルギーを人間関係のドラマに使ってしまいます。

でも、このエネルギーは現実をよりドラマティックにするためではなく、答えを見つけるために使うことができるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.299

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2.「ドラマ」を求める心理

今日のテーマは、「ドラマ」でしょうか。

自分の持っているエネルギーを、どこに差し向けるか、というお話です。

山頂で食べるおにぎりは例外なく美味しい

「最高のスパイスは空腹」という言葉があります。

最近は行けてないのですが、私はたまに近場にハイキングに行くことがあります。

ふもとから汗をかきかき、山を登って。

ようやくたどり着いた山頂で、絶景を眺めながら食べる「おにぎり」は、もう絶品なんですよね。

具材も何もない、塩むすびと麦茶が、本当に最高なんです。

その美味しさは、なかなか地上では味わえないものです。

それは、「砂漠で見つけたオアシス」、「ハードトレーニングのあとのスポーツドリンク」と似たようなものかもしれません。

感情の、起伏。

それを「ドラマ」と呼ぶとすると、私たちはいつも「ドラマ」を求めるようです。

アクション映画などで、主人公が絶体絶命のピンチに陥れば陥るほど、無事に生還したときの喜びや安堵が大きいように。

応援しているチームが、冬の時代を経て掴んだ栄光は、どこまでも嬉しいように。

「ドラマ」とは感情の揺れであり、そこに私たちは生きている実感を得るのかもしれません

退屈さが「ドラマ」を求める

「ドラマ」とは、感情の揺れであり、起伏である。

そう考えると、「ドラマ」を欲するときというのは、退屈さを感じているときなのかもしれません。

言い換えるとそれは、「生きることに飽きている」、「毎日に倦んでいる」状態といえるかもしれません。

私たちは退屈しないためにドラマを求めます。

つまり生きていると実感し、自分に何かが起こっているのを感じるためなのです。

そうした退屈さ、飽き飽きする感じ、倦んでいる感じを、映画やエンターテイメントで解消するのは、ある意味で健全です。

しかし、それを現実の人間関係で「ドラマ」を起こす方向に、エネルギーを使ってしまうことがあります。

もちろん、自分としては、そんなことを意識しているはずもないんですけれどね。

なぜだかわからないけれど、パートナーにケチをつけたりしたくなったり。

よくわからないけれど、仕事の上司にケンカをふっかけたくなったり。

はい、よくありますよね笑

いろんな見方がありますけれど、もしかしたら、それは「ドラマ」を求めているのかもしれません。

そしてそれは、退屈さや、生きることへ倦んでしまっているともいえます。

3.エネルギーを、どこに差し向けるか

わざわざ穴を掘らなくてもいい

「ドラマ」がなければ、私たちは生きている実感を得ることができないのでしょうか。

けっして、そうではないと思うのです。

わざわざ自分で穴を掘って、
わざわざそこに落ちて、
必死にそこからなんとか這い出て、
「あぁー!ようやく出られた!」
という喜びを得なくても、いいわけです。

もちろん、時にはそんな自作自演をして遊んでも、いいんですけれどね笑

けれど、いつもそれをしなくてもいい。

その穴を掘るエネルギー、穴から這い出るエネルギーを、何か別のものに使うことができるはずです

ネガティブなもの、ヒステリックな感情、あるいは何かを壊す方向に力を使わなくても、いいんです。

カギになるのは、「創造性」です。

なにかを創る、生みだす、与える、生命、愛、そういったポジティブなものに、使えるはずです。

掘った穴の大きさだけ、あなたはエネルギーを持っている

いま、あなたの目の前に何がしかの「ドラマ」があったとして。

それが、とても困難なものに見えたとしたら。

困難に見えれば見えるほど、あなたの偉大さを示す証拠です。

先の「穴」の例でいうならば、それだけ大きな「穴」を掘れたのであれば、それだけのエネルギーを持っているともいえるからです。

「ドラマ」の大きさは、その人の持っているエネルギーの大きさ

だから、「穴が大きすぎる…」と思い悩むよりも、「これだけ大きな穴を掘れたのは、すごいことだ!」と見ることもできるわけです。

穴の大きさを見るのではなく、それを掘れたエネルギーの方を見る。

それは、私がカウンセリングの中で見ている「問題」と「才能」の見方と、同じです。

その「ドラマ」を生むほどの大きなエネルギーを、どこへ差し向けるか。

「ドラマ」の心理を考える上では、覚えておきたい視点です。

今日は「ドラマ」を求める心理について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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