私たちはよく、過去に生きようとしてしまいます。
その過去が、美しい思い出であっても、黒歴史であっても。
そうではない、「いまを生きる」とはどんなことなのか、考えてみます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.天国は「いま」にしか存在しません
多くの人が「古きよき時代」をなつかしみます。
でもそれは「いま・ここ」で感じている欠乏感をうめるために使っているもので、頭のなかだけのことです。
過去に生きようとしても幸せになれません。
「古きよき時代」を再現しようとすることには嘘があります。
なぜならその時期にも、求めていたのに得られなかったものはあったのですから。
いまこの瞬間こそ、経験から十分に学び、大きな幸福感を得るチャンスです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.303
2.いまを生きる、ということ
古今東西、ずっと言われ続けているテーマ
今日のテーマは、簡単そうで難しいですよね。
一言でいえば「いまを生きようぜ!」ということなのでしょう。
ただそれは、古今東西、多くの映画や小説、エンターテイメントの主題となり続けているテーマといえます。
それは裏を返せば、それだけ「いまを生きる」ことの難しさを表しているともいえます。
それがなかなかできないからこそ、私たちは「いまを生きる」という主題に惹かれ続けるのでしょうから。
私たちは、往々にして過去に生きてしまいます。
苦しい思い出の場合は、「あれがなかったら、いまの私も違っていたのかもしれない」と、その過去を悔います。
反対に、いい思い出であっても、「あのときはよかったのに、いまはちがう」と、その過去に執着したりします。
過去をなつかしんだりするのは、誰にでもあることですが、それが「いまの自分の否定」と結びつくと、とたんに苦しくなります。
そうしたとき、私たちの意識は、いま現在ではなく、過去にいます。
「過去に生きる」とは、いま現在の自分自身を否定し、過去に意識を向け続けること、と言えそうです。
古きよき時代であれ、黒歴史であれ、いま現在の意識が過去に飛んでしまっていることに、変わりはありません。
「いまを生きる」とは、その反対です。
過去を過去として受け入れ、肯定した上で、この目の前にある生を輝かせること。
それが、「いまを生きる」ことといえます。
そして、引用文にある通り、天国とは「いまこの瞬間」にしか、ないのかもしれません。
映画「いまを生きる」より
「いまを生きる」という言葉は、古い映画のタイトルにもなっていますね。
1989年のアメリカ映画で、原題は「DEAD POET SOCIETY」となっています。
ロビン・ウィリアムズ氏の演じる英語教師ジョン・キーディングが、母校に赴任して詩を教えながら、生徒との交流を描いた映画です。
母校の厳格な教育方針とは、一線を画すキーディングの授業。
自分が気に入らない解釈をする教科書のページなんか、破り捨ててしまえ!と言ったり、
ときに机の上に立ち、これだけで世界は違って見える、と教えたりします。
キーディングは、言います。
私たちが詩を読み書くのはカッコイイからではない。私たちが人類の一員だからだ。人類は情熱で満ちている。医学・法律・ビジネス・エンジニアリングは私たちの生活に必要なものだ。しかし、詩・美しさ・ロマンス・愛情こそが私たちが生きていく目的そのものだ。
何度も繰り返されるラテン語の"Carpe diem."(その日をつかめ)という言葉ととともに、とても印象深い映画です。
過去に生きるとき、私たちの心に情熱はありません。
ただなつかしむ、ただ悔いる。
それももちろん、生きる上では必要なことかもしれません。
けれども、いまを生きるとき、私たちは感じます。
この目の前の景色に覚える、情感を。
いま見つめている相手の瞳の、美しさを。
この胸に宿る、どうしようもない苦しさを。
たまらなくいとおしい、この気持ちを。
それは言い換えれば、キーディングの言うところの「生きていく目的」そのものなのかもしれません。
3.感情を開くこと
いまを生きること、感情を開くこと
キーディングの言う、「生きていく目的」。
すなわち、先に挙げたような情感を、美を、苦しさを、いとおしさを感じているとき。
そのとき、私たちの意識は「いま・ここ」にあります。
どのようなものであれ、そこに不足感や欠乏感はありません。
そう考えていくと、「いまを生きる」ことと、「感情を開くこと」とは、非常に近い位置にあるように感じます。
「いま」、何を感じているのか。
その瞬間に、私たちの生は宿ります。
しかし、その感情、感覚が閉じていると、私たちは過去の何かにすがりはじめます。
それは、目の前にある奇跡よりも、フィルムに映し出された映像に見入るようなものかもしれません。
感情を、感覚を、開くこと。
いま、この瞬間を味わうこと。
それを、「いまを生きる」と呼ぶのでしょう。
今この瞬間に美がないことはありえない
いまを生きる。
とても不思議なのは、今日の引用文では「天国」と表現していることが、ある種の痛みを克服する過程と、よく似ていることです。
何度も引用している、ジュリア・キャメロンさんの一文を引きます。
心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。
私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。
今、この瞬間は、大丈夫なのだ。私は息を吸い、吐いている。
そのことを悟った私は。それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。
「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン著(サンマーク出版、原題:The Artist's Way)より
この部分が、私は本当に好きで。
私のカウンセリングのなかでも、こんなことを伝えられたらなぁ、とよく思います。
どんなお話であっても、どんな状況であっても。
いま、このお話をしている瞬間だけは、大丈夫なんですよね。
「私は息を吸い、吐いている」
そう感じることができると、不思議と心は落ち着きを取り戻します。
それを、「いまを生きる」と表現しようが、「それぞれの瞬間に美がないことはありえない」と言うのか、どちらでもいいのかもしれません。
言い換えるとそれは、いまこの瞬間、目の前に映る世界にある「美」を見つけ続けること、ともいえるのでしょう。
今日は、とても抽象的なお話ばかりが続いてしましました。
どこか一つの部分だけでも、「いまを生きる」ことのご参考になりましたら、幸いです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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