大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

愛されることに価値や条件をつけると、自分を愛することが難しくなる。

自分は愛されていないのではないか、と感じてしまうとき。

愛されるためには、何らかの価値が必要だと思っているのかもしれません。

自分を愛するという、永遠のテーマについて考えてみます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自分を愛すれば愛するほど、愛されていることがわかる

世の中の最大の問題のひとつは、ほとんどの人が、自分は愛されていないのではないか、と感じていることです。

私たちは自分自身を愛していないとき、「私は愛される価値がありません」というメッセージをみんなに送っているのです。

するとまわりの人はうんざりしてしまいます。

 

自分自身への愛をまったく感じていなければ、たとえ家族や友人たちが十分に愛してくれていても、その愛を体験できないのです。

あなたが自分自身の存在を認めないかぎり、ほかのだれかがあなたを認めることはありません。

ほとんどの人が、他人に対するよりも自分自身に対して、ずっときびしいものなのです。

 

今日は、あなた自身にひと息つかせてあげましょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.65

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2.愛されることに、価値なんていらない

自己否定は、大きな社会問題である

今日のテーマはシンプルですね。

しかしながら、人が抱える悩みのほぼすべてが、ここから来ているようにも思います。

引用文の「世の中の最大の問題のひとつ」とは、よく言ったものです。

自分には、愛される価値がない。

その観念や思いこみは、ほんとうに至るところで、いろんな問題を引きおこします。

さらに厄介なのは、その思い込みを無意識に持っていることかもしれません。

知らず知らずのうちに、「私には価値がないから、愛さないでください」と書いたチラシを、周りの大切な人に配っていたりします。

はい、よくやってしまいますよねぇ・・・ほんと(遠い目)

なぜ、こんなにも私たちは自分に厳しいんでしょうね。

歴史的要因、社会的な要因、あるいは宗教的な要因、いろいろな要因があるとは思うのですが、現代日本はどうも自分に厳しすぎる傾向があるようです。

自分を否定してしまうことで、自分らしさが発揮できないばかりか、深く傷ついている人もいるでしょう。

自己否定は、ある種の社会問題であり、大きな社会的な損失を生んでいます

さて、その根本にある「自分には、愛される価値なんてない」という観念。

ほんとうに、そうなのでしょうか。

「どうしたら愛されるか?」

自分には、愛される価値なんてない。

このフレーズ自体が、あまり意味がないことのように感じます。

なぜなら、愛されることに価値なんていらないのでしょうから。

何がしかの価値があるから、愛される。

笑顔が素敵で、真面目で、頑張り屋で、話しがおもしろくて、センスがよくて・・・そうした価値があるから愛される。

そう考えると、蟻地獄にハマります。

「価値があるから、愛される」という観念は、実に多くの人が持っているのではないでしょうか。

この観念は、どこから持ってきたのでしょうね。

人によって千差万別、いろんな体験から、持ってくるものだと思います。

「片付けができないと、いつも親から叱られた」

「アバウトな性格を、友人にダメ出しされた」

「テストでいい結果が出なくて、親は残念そうだった」

そういった体験をすると、やはり何がしかの価値がないと、愛されないと思ってしまいます。

さらに言うなれば、そういったネガティブな体験だけではなく、その逆の体験からも、私たちはそうした観念を持ってしまうことがあります。

「徒競走で優勝したら、親に褒められた」

「部活を頑張っているあなたの姿が好きです、と告白された」

「いつも場を盛り上げてくれるから、あなたがいると楽しいと言われた」

こうした成功体験も、「足が速い」「頑張っている」「場を盛り上げる」価値があるから、自分が愛されると変換してしまうことがあります。

言ってみれば、私たちは、人生をかけて「どうやったら愛されるか」の研究に、勤しんでいるのかもしれません

3.愛されることに、価値も条件もいらない

だれもが、赤子だったように

しかし、ほんとうのところは。

愛されることに、価値も条件もいらないのでしょう

誰もが、生まれたときは赤子でした。

何もできなくて、ただお世話をしてもらうだけの存在。

彼ら、彼女らは、何かをできなくても、話せなくても。

愛される存在です。

価値も条件もなくても、人は愛することができます。

誰もが、そんな赤子でした。

それが、愛されることに、価値も条件もいらないことの、一つの証にはならないでしょうか。

何かができることも、秀でていることも、優れていることも、愛されるために必要なものではありません。

自分の長所を自覚して、それを愛してあげることは、もちろん大切なことですが、それだけではまだ半分です。

時に真実は、そう見えることとは、真逆のところにあります。

自分が本当に忌み嫌っている影の部分こそを、自分が愛してあげること。

それこそが、重要なことのように感じます。

「自分を愛せない自分」を愛することから

自分を愛することは、カウンセリングの中で非常によく出てくるテーマです。

究極的には、そこにすべてが集約されるといってもいいかもしれません。

しかしながら、いきなり自分を愛そうと思っても、難しいものです。

いままでの習慣を、いきなり変えるようなものですから。

慣れ親しんだ通勤路を変えるようなものかもしれません。、右往左往してしまうものです。

慣れない通勤路に右往左往して疲れ果ててしまうように、「自分をうまく愛せない」と、自分を責めてしまわないようにしたいものです。

一歩目は、「自分を愛せない自分」がいる、と認識することでいいのかもしれません。

まずは、そこからはじめましょう。

「自分を愛せない自分」

そんな自分も、いていいじゃない

そう思えたら、しめたものです。

あせらず、急がず、じっくりと。

生きるとは、自分を許し、愛する道なのでしょうから。

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