「復讐」とは、自分を不幸せにすることで、相手に仕返しをしようとする心理をさします。
そうした「復讐」をしたくなる相手を、愛の視点から見ることをお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人生で何かが手に入らないのは、あなたが復讐しているから
私たちはだれもが人生にもの足りなさを感じています。
でも、あなたがもっていないもの、手に入れたいと望むものをより深く見つめなおしてみましょう。
自分自身に「これを手に入れないことによって、私はだれに復讐しているのだろうか」とたずねてみてください。
「自分自身」という答えはあたっていますが、それだけでは完全な答えではありません。
復讐というものはつねに、自分以外のだれかに対して仕返ししているものなのです。
いったいだれに仕返しをしているのでしょう。
現在の幸せをうばってしまういがみあいをいまだ続けているだけの価値があるでしょうか。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.306
2.「復讐」の心理
今日のテーマは、「復讐」でしょうか。
少しおどろおどろしい響きのテーマですが、そうならないようにお伝えしてみたいと思います。
自分を不幸せにする心理
「復讐」とは、あまり日常生活では使わない言葉ですよね。
ドラマとかゲームとか、そうしたなかでしか聞かない言葉かもしれません。
しかし、今日のテーマの「復讐」は、けっこう身近にあるものです。
一般的な意味での「復讐」ですと、自分に対してひどい仕打ちをしてきた相手に対して、何らかの攻撃をやり返す、といった意味になります。
しかし、心理学的な意味での「復讐」は、そのベクトルが内に向きます。
相手に攻撃するのではなく、自分を不幸せにしたり、ひどい状況に自分を置くことで、相手に「復讐」をしようとするのです。
「ほら、見てごらんなさい。私がこんなにも傷ついて、不幸で、人生のどん底にいるのは、あなたのせいなんだよ」
相手に対して、そう言いたいがゆえに、自分を傷つけたり、幸せから遠ざける行動を取ること。
これが、心理学的な意味での「復讐」です。
いわば、相手に反撃したり、仕返ししたりするかわりに、自分を傷つけて、その姿を相手に見せること。
それによって、相手が自分に対して興味を引いて、申し訳なさや罪悪感を与えることで、「復讐」を成し遂げようとする心理です。
相手の気を惹こうとしている時点で、その相手に主導権を渡してしまっているわけですから、ずいぶんとしんどいですよね…
これ、大なり小なり、私たちがよく抱きがちな心理ではないでしょうか。
「復讐」をしたくなる相手の秘密
さて、そうした「復讐」の心理ですが、ここで少し考えてみたいのは、その相手についてです。
私たちが、自分を傷つけたり、幸せを遠ざけてまで、「復讐」をしたくなる相手。
それは、どんな相手だと思いますか?
「復讐」の語義的な意味から考えると、自分に対して何らかのひどい仕打ちや、不当、理不尽な被害を与えてきた相手、となります。
それは、半分合っていますが、半分は不正確です。
私たちが、「復讐」をしたくなる相手。
それは、どんな相手でしょうか。
それは、単に相手がひどい仕打ちをしてきた、という事実だけでは、不十分です。
思い出してほしいのは、「中日ドラゴンズの法則」です。
え?知らない?すいません、いまつくった名前です笑
問題や悩みを考えるときに、何度も立ち戻りたい原理原則です。
私たちは、大切なことでしか、悩みません。
昨日も手ひどい負け方をした中日ドラゴンズに、腹が立ったり、イライラしたりするのは、私にとってそれが大切なものだからです。
野球に興味がない方にとっては、「ほんどうにどうでもいい」ことなわけです。
私たちは、自分にとって大切なことでしか、頭を悩ませない。
ここまで書けば、もうおわかりでしょうか。
「復讐」をしたくなる相手とは、その人にとって「大切な人」なわけです。
はい、イヤですねぇ…ドロドロとしてきましたね笑
もう少し、がんばってください。
最後には、清涼感をお届けしたいと思いますので笑
3.「復讐」を愛の視点からとらえなおす」
恋愛における別れの痛みとは
「復讐」と聞くと、あまり関わりたくないですし、ドロドロしてそうに見えます。
もちろん、「復讐」の渦中にいるときは、本当に苦しいものです。
けれども、どんな問題のなかにも、愛と光を見つけたいと私は思っています。
どんな闇の中にも、一筋の光を見つけられる、そんなカウンセラーでいたいと思っています。
「復讐」の中にも、愛を見つけることができます。
先に書いた通り、「復讐」をしたくなる相手とは、自分を傷つけてきた相手、というだけでは不十分です。
自分にとって、大切な相手であることが、その必要条件となります。
そして、とてもデリケートな部分なので、言葉を選んでお伝えしたいと思いますが、その上で、もう一つ大切な視点があります。
愛する、ということを考えたときに。
人は、愛されなかったことよりも、愛せなかったことの方に、強い痛みを感じます。
往々にして、恋人から別れを告げられたことの痛みは、「私は愛されなかった」という痛みだと思われがちです。
私はそれは、逆だと思うのです。
別れを告げられたことで、「私が愛せなくなった」ことの方が、大きい痛みなんです。
たとえ、物理的に離れても、その人を愛することはできます。
自分の中に、その人を愛する気持ちがあれば、私たちはとても満たされます。
そこに、相手がどう振る舞うとか、目に映る現象面は、あまり関係がないわけです。
それは、恋愛における別れでもそうですし、死別といった別れでも同じことです。
人は、愛されなかったことよりも、愛せなかったことに方が、強く痛みを感じます。
おかしな話に聞こえるでしょうか。
「復讐」を愛の視点からとらえなおす
「復讐」をしたくなる相手とは。
自分にとってひどい仕打ちをしてきた、不倶戴天の敵…ではなくて、自分にとって、とても大切な存在。
そして、どうしようもなく愛したかったのに、愛せなかった存在。
そんな存在だからこそ、「復讐」をしたくなるわけです。
ここまでくると、「復讐」をしたくなる相手のことが、少し違った視点で見ることはできないでしょうか。
もし、あなたが、自分を傷つけることで、だれかに仕返しをしていると感じたら。
その相手が、あなたにとって、それだけ大切な存在であること。
そして、あなたがこの生をかけて、愛したかった人ではないでしょうか。
自分を傷つけても、幸せを遠ざけても、愛したかった人。
言い換えると、「復讐」をしたくなる人とは、それは「愛したい」という想いを膨大に持っている、愛の人といえるのではないでしょうか。
「復讐」を、愛の視点からとらえなおすと、そんなふうに見ることができると思うのです。
「復讐をやめよう!」とお伝えするよりも、「そこまでして、愛したかったんですね」という視点をお伝えしたいなと、いつも私は思っているんです。
今日は、「復讐」の心理について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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