私たちを過去に縛りつけるのが「未練」ですが、それを抱くのは自分が愛されなかったときよりも、自分が愛せなかったときです。
そして、「未練」を手放して前に進むためには、自分自身の「愛」に価値を見ることが大切です。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.未練は過去の幻
未練にしがみついているとき、あなたは過去に生きているのです。
つまり、自分でつくりあげた空想のなかに生きているのです。
過去の亡霊は手放しましょう。
しがみついても、あなたはぜったいに幸せにはなりません。
空想は幻です。
それらを手放して、いま人生があなたに用意しているものを受けとりましょう。
いま手放そうとしているものよりも、人生はもっといいものを用意してくれています。
それはあなたの真実により近く、前に進めてくれるものであり、真のつながりと満足をもたらしてくれるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.317
2.「未練」についての一つの誤解
「未練」は人を過去に縛りつける
今日のテーマは、「未練」でしょうか。
カウンセリングの中でも、非常によく出てくるテーマでもあります。
「過去が忘れられない」という想いは、誰にでもあるものです。
「人は過去に生きるのではない、今現在に生きるんだ!」とは言っても、なかなか難しかったりもします。
それは、「思い出したくもないくらい、辛い過去」もそうでしょうし、「あのときは、ほんとによかった」と思える、幸せな思い出もまた、私たちを「いま・ここ」から遠ざけます。
辛い過去であれば、もしかしたら、また同じことがまたこれから先に起こるかもしれない、という怖れを引き寄せます。
「あんなに好きだったのに、最後はひどいフラれ方をしてしまった。未練タラタラで、カッコ悪い別れだった。これから付き合っても、また同じことを繰り返してしまわないだろうか」
あるいは、幸せで満たされた過去であればあるほど、もう二度とそんな時間は訪れないと感じ、未来を考えるのが億劫になるかもしれません。
「あんなステキな人とは、もう出会えないような気がする」
いずれも、私たちを過去に縛りつけ、前に進むことを難しくする心理です。
それが、辛い過去であれ、満たされた過去であれ。
いずれにしても、「未練」を抱いていると、私たちをいま現在から一歩踏み出すことが難しくなります。
そのことは、とても分かりやすいと思います。
人はどんなときに「未練」を抱くのか
しかし、一歩踏み込んで、「どうして人は未練を抱くのか」ということを考えると、少し様子が違ってきます。
言い換えると、「未練を抱くのは、どんなときか」という質問ともいえます。
考えてみれば、不思議ですよね。
それが辛い過去であっても、満たされた過去であっても、「未練」になってしまうのは。
人は、どんなときに「未練」を抱くのでしょう。
すぐに思い浮かぶのは、自分が傷ついたとき、あるいは自分がほしかったように愛されなかったとき、でしょうか。
上に挙げた例でいえば、「自分が望まない別れ」などは、「未練」になりやすいものです。
それは、とても分かりやすい心理です。
けれども、それだけでは、満たされた過去にも「未練」を抱くことが、なかなか説明がつきません。
「未練」とは、その逆のように、私には思えるのですよね。
人は、自分が愛されなかったときよりも、自分が愛せなかったときに、強い痛みを覚えます。
愛されない痛みよりも、愛せない痛みの方が、大きい。
どのような状況であれ、自分が愛せない過去に、私たちは「未練」を抱きます。
そして、満たされた過去の場合は、「いま」の自分の愛が届かないと感じるときに、その過去に「未練」を抱きやすくなります。
愛することを禁じられるということは、人にとって絶望に等しいといえるのかもしれません。
この視点は、「未練」を手放すことを考えるときに、非常に重要な視点といえます。
3.「未練」を手放すためには、自分の愛に価値を認めること
過去に「未練」を抱いたままだと、私たちは過去に縛りつけられたまま、前に進むことが難しくなります。
「過去を見るよりも、いまを生きる!」
確かにそれは真実ですが、それが簡単にできないから、誰もが苦しいわけです。
その心理とは、先に見てきた通り、愛されなかったことよりも、自分が愛せないことへの絶望ともいえます。
そういった視点で見ると、「未練」を手放していまを生きるために、大切な質問が見えてきます。
手放せない「未練」があるとしたら。
あなたは、誰を、そんなにも愛したかったのでしょうか。
その人そのものかもしれません。
もしかしたら、別の誰かかもしれません。
あなたが愛したかったのに、その愛を届けられなかった人は、誰でしょうか。
その問いを考えることは、「未練」が引き寄せる怖れや膠着状態、あるいは罪悪感から、私たちを遠ざけくれます。
怖れ、膠着状態、罪悪感とは、言ってみれば心のなかの「痛み」の層です。
その層を飛び越えて、「愛」の層に、私たちの意識を向けさせてくれるからです。
こんなにも、愛おしく思っていた。
こんなにも、その人の笑顔を、想っていた。
こんなにも、あの人の幸せを、願っていた。
こんなにも、こんなにも、こんなにも。
ここで大事なのは、「結果」に目を向けないことです。
「でも、結局別れた」とか、「でも、だって」とかいう、どこかから聞こえてくるたわごとに、耳を貸さないことです。
その愛おしい思い、その愛を感じていたこと。
そのことに、フォーカスしてみてください。
さて、ここで少し視点を変えてみます。
そうした愛を抱いていた人が、この世の中にいたとしたら。
そして、その愛を、あなたに差し向けてくれていたとしたら。
あなたは、どう感じられますでしょうか。
その愛は、尊いと思いませんか。
よく、そこまで愛することができたなぁ、と思いませんか。
そんなにも想えるだけで、すごいことだと思いませんか。
そんなにも想える相手がいただけで、幸せなことだと思いませんか。
その愛は、何百、何千カラットのダイヤモンドよりも、価値があると思いませんか。
もし、ほんの少しでも、そう思うのであれば。
あなたの差し向けてきた愛もまた等しく、価値のあるものではないでしょうか。
もし、そう感じられるのであれば。
あなたの「未練」は、少しゆるんでいませんでしょうか。
自分自身の愛に価値を認めることができると、「未練」は存在し続けることができません。
これは、「未練」に限らず、どんな問題でも、同じなのですけれどね。
ということで、今日は「未練」についてお伝えしました。
「未練」を手放すには、自分の差し向けてきた愛の尊さに、価値を認めること。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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