大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

愛のない行為とは、愛を求める叫びである。

自分に対して、何がしかの攻撃をしてくる人。

そんなことがあると、自分の痛みにだけ目を向けて、心を閉じてしまいがちです。

しかし、「なぜ」その人が、そんな行為をするのだろうという視点を持つと、少し世界が違ってきます。

そんな、愛から世界を見る視点について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.愛のない行為とは、愛を求める叫びである

人はさまざまな行動をとりますが、「愛のある行為」とはどういうものだと思いますか。

そして「愛のない行為」とはどんなものでしょうか。

 

愛のない行為とは、じつは愛を求める叫びなのです。

あなたが攻撃されていると感じたときこそ、あなたの愛が求められているのです。

あなたが自分を守ろうとせずに、すすんでそれにこたえ、攻撃してくる人に合いをもって近づいたとき、その人はあなたの味方になります。

そして、これから先、よいときも苦しいときもつねに誠実な友でいてくれることでしょう。

でもいまは、あなたの愛を必要としているときなのです。

 

こうした人々は、死んだような無感覚な状態や、攻撃的な気分におちいっています。

あなたが困難にぶつかったとき、どんな気持ちだったのかを思い出してみてください。

まだ言葉も話せなかった子供のころ、助けを求めて叫び声をあげていたことを覚えていますか。

いまあなたを攻撃してくる人もそれと同じように、あなたからの愛を求めているのです。

 

まわりを見わたしてください。

あなたが近づいてきてくれるのを待っている人がいます。

いま、あなたの助けを求めているのはだれでしょうか。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.9

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2.すべてを愛から見る視点

本書の根幹ともいえるテーマ

今日のテーマは、本書「傷つくならば、それは『愛』ではない」の根幹部分ともいえるテーマです。

それだけに、肚落ちするのが難しいテーマでもあります。

だって、自分を攻撃してくる人を見て、「あ!自分に助けを求めてきてる人だ!」とは、なかなか思えないですよね。

私も、そうです笑

いいんです、それで。

ただ、そう見えるところとは、逆のところにあるのが、真実なのかもしれません。

多くのすぐれた芸術は、日常に埋もれてしまいがちな世界の真実を、指し示してくれます。

誰もが見過ごして、通り過ぎてしまうような、些細なところに、

「ここに、こんなものがあるよ」
と指し示して、意識を向けさせる役割。

それは、美しさでもあるでしょうし、誰もが心の奥底に眠らせている情感であったり、時には何かの問題であったりするでしょう。

すぐれた芸術家やアーティストは、問題提起をするといわれるのは、そうしたところからかもしれません。

本書もまた、そうした点はすぐれた芸術と、似ているのかもしれません。

愛ゆえに、という視点

今日引用した言葉は、短いながらも、含蓄があります。

自分に対して、何がしかの攻撃をしてくる人。

そういった人がいると、私たちは自分の痛みだけに目を向けてしまうものです。

しかし今日のテーマは、少し違う視点から、その人を見ます。

その人は、なぜそういう行為をしてくるのか

その理由に目を向けます。

愛を求める叫びのようなものだ、と。

言葉も話せなかった子どもが、助けを求めて叫びをあげるようなものだ、と。

その視点は、いい/悪いという価値判断や、加害者/被害者といった区分けから、私たちを自由にしてくれます。

誰もが、言葉を話せず、助けを求める子どもの時期がありました。

自分の伝えたいことも言えず、ただ、泣き叫んで、周りにそれをぶつけるしか、それを伝える方法がなかった。

誰にでも、あったことでしょう。

何がしかの攻撃をしてくるその人は、愛を求めていたからこそ、そんなにも必死になっていたのかもしれません。

だからといって、攻撃される痛みがやわらぐわけでは、もちろんありません。

ただ、もしかしたらそうかもしれない、という視点を持つことは、ずいぶんと世界を広げてくれます。

3.愛から見るカウンセリング

誰かを悪者にすることなく

私がカウンセリングを学んだ、根本裕幸師匠もまた、同じようなことを仰っておられました。

「愛から見るカウンセリング」

そう、根本師匠は仰っておられました。

どんなお話の中にも、愛を見つめることはできます。

その見方が素晴らしいのは、誰かを悪者にしなくてもいい、という点です。

被害者/加害者をつくらない、と言うこともできます。

誰かを悪者や加害者にするとき、私たちは罪悪感を抱えます。

「あの人は、攻撃をしてきてひどい人だ」、と。

その罪悪感は、真綿で首を締めるように、じわじわと心を蝕みます。

しかし、愛から見ると、また違った景色が見えます。

被害者をやめることは、ほんとうに自分の心を自由にしてくれます。

このあたり、なかなか感覚的な話でうまくお伝えしきれないのですが、そんなカウンセリングをご提供できるように、精進していきたいと思います。

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※2月25日(金)より次回3月度の募集を開始いたします。

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