いつも誰かと争ってしまうのは「自立」の特徴ですが、その争いとは、ほんとうにほしいものから目を逸らすための刺激物になっているのかもしれません。
「主導権争い」の心理と、争いを手放すためのアプローチについて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人生で手に入っていないものがあるなら、それはあなたが闘っているから
あなたがほしいと思っているのに手にしていないものがあるのなら、自分にこの質問をしてみてください。
「私はだれとけんかしているのだろう。だれと闘っているのだろうか」と。
ここでは「自分」とか「みんな」という答えは一種の逃避です。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.331
2.「主導権争い」の心理
今日のテーマは、「主導権争い」でしょうか。
誰かと闘ってしまう、争ってしまう心理について、考えてみます。
「自立」するほどに、闘いをやめられなくなる
誰かと争ってしまう、闘ってしまう、競争してしまう。
そうしてしまう心理の裏には、「自立」のマインドがあります。
いや、裏というか、「自立」のマインドの大きな特徴ですね笑
私たちは、自分では何もできない「依存」の状態から、何でも自分でやろうとする「自立」へと成長のプロセスをたどります。
この「自立」の時代の特徴として、自分の抱いているルール、あるいは正しさに非常にこだわるというものがあります。
自分では何もできない「依存」の状態がイヤで、「自立」に舵を切るわけですから、自分のやり方に強くこだわります。
このルールや正しさが、周りと衝突するわけですね。
私には私なりのルールや正しさがあって、他の人には他の人なりのルールや正しさがある。
それをお互いに調整したり、または和合して新しいルールをつくりだすのが、人間関係のコミュニケーションの醍醐味であり、素晴らしさであるのですが、「自立」にいると、なかなかそれができません。
「自立」が進むと、自分の持っているルールや正しさを、ちょっとでも譲ることができなくなります。
競争や勝ち負けにこだわり、常に相手と闘っているような状態になります。
「主導権争い」とも呼ばれ、常に相手とどちらが正しいか、どちらが主導権を握るかという競争をしている状態です。
もし、少しでも相手のルールや正しさを認めてしまったら、負けてしまう。
そうしたら、あのしんどかった「依存」にまた逆戻りしてしまうかもしれない。
だから、絶対に負けてはならない。
「自立」をするほどに、自分一人で頑張ろうとするほどに、闘いの螺旋から降りられなくなる。
いつも誰かと闘ってしまう、争ってしまう心理は、そんな背景があるようです。
闘ってしまうのは、自分の望みから目を逸らすため
さて、こうした闘い・争いの心理ですが、もう一つの視点があります。
それが今日の引用文のテーマでもあります。
端的に言ってしまえば、「自分のほしいものから目を逸らすために、争いを使う」という心理です。
闘っている間は、本当に自分がほしいものを直視しなくて済むからです。
それは言い換えれば、自分が好きこのんで、相手との闘いを選んでいる、ともいえます。
えぇ?と思いますよね。
こんなに相手と争って、闘って苦しいのに、それを自分が選んでいるですって?
そんなはずないじゃないか、と。
私も、思います笑
けれども、それは逆かもしれません。
「そんなにも苦しい争いをして、目を逸らさなければいけないほど、直視するのが怖いものがある」
もし自分が争いや闘いを選んでいるとしたら、そう見ることはできませんでしょうか。
直視することが怖いものから目を逸らすために、「わざわざ」闘いや争いを使っている。
もしそうだとしたら。
その「直視することを避けているもの」とは、何でしょうか。
それだけイヤな争いをしてまで、見るのを怖れていたものとは、何でしょうか。
本当にほしいものは、怖いものです。
心の底から惚れている人に告白するのが、とても怖いように。
もしかしたら、それを闘いや争いとは、それをごまかすためのものなのかもしれません。
3.「自立」を手放すためのアプローチ
「苦しい争いをやめるためには」と考えたとき、まずは「自立」を手放すことが挙げられます。
「自立」の過程で、争いや闘いが激化するのですから、それを手放しましょう、というわけですが、これがなかなか難しいものです。
もちろん、「誰かを頼る」「自分のことを話す」「無理ですと言ってみる」といった、方法論的なものはあります。
けれども、マインドがついてこないと、なかなか行動はできないものです。
はい、「自立」を手放すのは、めちゃくちゃ難しいです(真顔)
そこで、今日は一つのアプローチとして、先ほどのお話を転用してみます。
あなたが闘っている相手を、一人書き出してみます。
父親かもしれません。パートナーかもしれません。仕事の上司かもしれません。
あるいは、神さまかもしれません。
そして、あなたの人生でほしいものを、一つ書き出してみます。
仕事の成功かもしれません。あたたかい居場所かもしれません。多くの金銭かもしれません。あるいは、無条件の愛情かもしれません。
深く考えず、浮かんできたもので大丈夫です。
そして、こう自分自身に問うてみるんです。
「私がこの人生で望んでいるのは、この人と争うことだろうか」
「それとも、このほしいものを手に入れることだろうか」
頭では、「そりゃあ、何も好きこのんで争いたいわけじゃない」と考えるかもしれません。
けれども、そのほしいものが手に入ったら、という怖さがあると、どうしても争いの方に目を向けてしまうものです。
だから、一度ではなく、何度でも問いかけてみてください。
「ほんとうに私が望むのは、どちらだろう?」
さて、もし「ほしいものを手に入れること」と自然に思えたなら。
次に、こんな問いかけをしてみてください。
「それが手に入ったら、どうなるんだろう?」
自分がほしいと望んでいるもの。
それがあなたの両手に与えられたとしたら、どんな気分になるのでしょう。
それは、怖いものでしょうか。
それとも、安心できる感じがするでしょうか。
それとも、ワクワクとした心を呼び覚ますものでしょうか。
一度、想像してみてください。
「全然分かんない、想像できない」
でも、大丈夫です。
想像しようとしたことで、何かが変わっていきますから。
そうしたプロセスを踏んでいくと、「争う理由」がなくなってきます。
わざわざ争いや闘いといった、ネガティブな刺激物に目を向けなくても、大丈夫になってきます。
今日は、「主導権争い」の心理とともに、「自立」を手放していく、少し変わった角度からのアプローチをご紹介しました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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