大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

対立を生むのは、「相違」ではなく「同じ感情」である。

ある対立関係があったとき、お互いの根底にあるのは、「相違」ではなく「同じ感情」です。

そしてその感情とは、突き詰めていくと「怖れ」と「罪悪感」の場合が多いようです。

その二つの感情について、詳しく見ていくとともに、よりよい関係を築くためのヒントについてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.どんな対立関係でも、二人の感じている気持ちは同じもの

このことを知ることが、解決の出発点です。

これはあらゆる対立を癒すうえでのカギになります。

たとえ行動が正反対でも、二人は共通する感情によって結びつけられています。

たとえば、怖れという感情は「闘うか、逃げるか」という行動パターンになってあらわれます。

また罪悪感は「引きこもるか、攻撃するか」という反応を生みだします。

どちらの場合も、二人に共通している感情からその反応が生じたのです。

 

おたがいの感情を伝えあうところからコミュニケーションをスタートさせれば、分かちあいの場をつくりだすことができるのです。

すると二人が合意できる点がひとつは見つかります。

このつながりから全体が展開しはじめ、おたがいを理解し、つながる方向へと向かっていけるのです。

 

あなたがどんな感情を抱いていたとしても、それをひとつの手がかりとして、相手がどんな感情を体験しているのかを理解することができます。

たとえ相手の行動があなたとまったく正反対であろうとも、それは可能なのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.34

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2.対立は、同じ感情から生まれる

「相違」が対立を生むのではない

今日のテーマは、私にとっては、目からウロコというか、「ほえーなるほどー」となったのですが、いかがでしょうか。

どのような対立関係であっても、お互いの根底にあるのは、同じ感情である、と。

誰かとケンカしたり、いがみあったりしたりすると、そこには「相違」があり、それをお互いが理解できないから、対立してしまうのだと思うものです。

しかし、そうではない、と。

対立の根底にあるのは、「相違」ではなく、「同じ感情」である、と。

これは結構、コペルニクス的な発想というか、すごいことだと思うのですが、いかがでしょうか(2回目笑)。

それはともかくとして、「相違」ではなくて、「同じ感情」が対立の根底にあるというのは、ある意味で大きな救いのように感じます。

「相違」ならば、拒絶からはじまり、何とか理解しようとして、そして受け入れる、共存するとなると、果てしなく長い道のりのように思えるからです。

しかし、「同じ感情」が根底にあるとしたら。

対立からの和解は、案外近い位置にあるのかもしれない、と感じます。

同じものを、共有しているのですから。

対立を生む二大巨頭、「怖れ」と「罪悪感」

さて、その「同じ感情」ですが、対立を生む二大巨頭ともいえる感情があります。

「怖れ」と「罪悪感」です。

「怖れ」~闘うか、逃げるか

よく「突き詰めていくと、人の心には愛か怖れしかない」と言われます。

それくらい、人間の持つ根源的な感情なのでしょう。

はるか昔、文明や火を持つ前の人類。

夜の森の闇に、何かがうごめいているのを見かけた。

肉食獣が、自分に襲い掛かろうとしているのかもしれない。

過去の経験が、そう自分にささやいてきます。

そんな風に「怖れ」を感じたとき、人は「闘うか、逃げるか」の選択を迫られます。

その「怖れ」があったからこそ、人類はいろんな危険を予測し、生き延びることができたのかもしれません。

しかし、今日ではその「怖れ」が不要な場面が多いのもまた、事実です。

そのように、「怖れ」とは、過去の経験から導かれる予測であり、実際に起きているわけではないものです。

「いま」を見つめ続けることで、「怖れ」は緩めることができます。

「罪悪感」~引きこもるか、攻撃するか

あらゆる問題のデパート、総合商社ともいえる、「罪悪感」。

どんな悩みも問題も、「罪悪感」という視点で見ることは可能なくらい、幅広く私たちの心に巣食う感情です。

「罪悪感」とは、文字通り「私は罪人であるから、罰せられるべき」という感情です。

実にさまざまな場面で、私たちは「罪悪感」を抱えます。

誰かを傷つけてしまったと感じたとき、
誰かを助けられなかった、役に立たなかったと感じたとき、
見捨ててしまった、何もしなかったと感じたとき、
誰かよりも恵まれていると感じたとき・・・

他にも、親や社会から引き継いでしまった罪悪感や、宗教的な理由から抱いてしまった罪悪感など、ほんとうにさまざまな場面で、人は罪悪感を抱きます。

そして、「罪悪感」を抱くと、自分を幸せから遠ざける行動を取ろうとします

当然ですよね。
罰を受けなければいけない人間は、幸せになんか、なっちゃいけないわけです。

幸せになれる道があれば、そそくさと避けますし、イラバの道があれば喜んでかきわけていくわけです。

そのように「罪悪感」を見ていくと、引きこもる(牢屋に入る)か、攻撃する(逆ギレして暴れる)という反応も、納得できるのではないでしょうか。

「罪悪感」は誰の心にでもあり、根深いものです。

時にそれは、無意識のレベルにまで根を張っていますので、「罪悪感がある」ことに気づくことすら、難しい場合もあります。

そんな「罪悪感」ですから、それを完全に無くそうとするよりは、持病のように付きあっていくことが大切なのかもしれません。

裏を返せば、「罪悪感」を感じるくらい、その人を愛していたのですから。

3.行動を外して、感情だけを見つめる

相手はどんな感情を感じているのか?

二人の間にある対立を癒すためには、根底にある「同じ感情」を見ていくことが重要だと、本書は言っています。

目に映る行動ではなく、その人が感じている感情を見つめていく

それを言葉にするのは簡単ですが、なかなかできることではありません。

誰だって、攻撃されたら傷つきますし、逃げられたらショックですし、闘いを挑まれたらいい気はしません。

その痛みを越えていくためには、やはり「愛」が求められるのでしょう。

そして、相手の感情を理解しようとすればするほど、自分自身と向き合うことになります。

そこで、同じ「怖れ」であったり、「罪悪感」だったりを、見つけるのでしょう。

その「同じ感情」がある、というところから、コミュニケーションをスタートさせる。

こういったコミュニケーションは、二人の関係を本当に成熟させてくれるものです。

これは、パートナーシップだけの話ではありません。

すべての人間関係に適用できる金言

「共通する感情は何だろう?」

対立を感じたとき、そう考えることは、その人との関係を深め、そして豊かにしてくれます。

それは、パートナーシップにおいてだけの話では、ないはずです。

本書は主にパートナーシップについて書かれていますが、多くの人間関係に当てはめて考えることができます。

すべての人間関係に適用できる、と言っていいとすら感じます。

それが、私が本書に惹かれてやまない理由の一つです。

これからも、少しずつそんな素晴らしい本書の学びを、ご紹介していければと思っています。

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