大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いつも誰かと「競争」してしまう心理と、それをゆるめるためのワーク。

いつも誰かと「競争」していると、衝突と葛藤を繰り返してしまいます。

そんな「競争」の心理と、それをゆるめるための問いかけを、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.人間関係でうまくいっていないところは、すべて競争の結果

競争とは、低いレベルの意識で主導権争いや活気のないよどんだ状態を生みだします。

人間関係をめちゃめちゃにしてしまうこともあります。

競争はこっそりと、あるいはあからさまにパートナーシップを妨害し、協力をはばみ、成功を挫折させます。

競争していると、パートナーシップを成功させるために努力するかわりに、おのおのが自分のために闘います。

そして、いっしょに取り組んだり共通の目的を探すより、おたがいに自分の欲求を満たすほうが先です。

 

つねにどちらかが優越感や劣等感を感じていますが、どちらの観念も二人の関係を先に進めるものではありません。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.343

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2.「競争」してしまう心理

今日のテーマは、「競争」でしょうか。

「自立」が引き起こす問題の、最もメジャーといえる「競争」の心理について、考えてみます。

健全な「競争」と、問題になる「競争」

「競争」とひとくくりに言っても、それ自体がすべて悪いものであるわけではありません。

切磋琢磨しあう中で、お互いがお互いを高めあうことのできる「競争」は、健全といえます。

「競争」そのものである多くのスポーツにおいては、相手や相手チームをリスペクトする、という前提があります。

その前提を失って、「勝ち負け」のみにフォーカスしてしまうと、どんなスポーツでもただの暴力的なものになってしまいます。

プレイヤーの立場でもそうですし、観客の立場でも同じですよね。

人間関係のなかにおける「競争」も同じです。

相手を尊重して、切磋琢磨しあう関係性のなかでの「競争」であれば、問題にはなりません。

「競争」が問題になるのは、「勝ち負け」にこだわってしまう心理が、自分の内面にある場合といえます。

「負けてはいけない」
「勝たないと意味がない」
「負けることは悪だ」

そんな意識でいると、人間関係のなかで、さまざまな問題を引き起こします。

「競争」の心理と「自立」の関係

さて、最初に書いた通り、こうした不健全(?)な「競争」の心理におちいるのは、「自立」の状態にいるときです。

私たちの心は、「自分には何もできないから、誰かが何とかしてもらいたい」という「依存」から、「自分で何でもやる」という「自立」へと成長していきます。

「自立」は、自分の足で立ち、自分ができることを増やしていけるという、大きな恩恵があります。

実家、学校、あるいは修行先など、なんでもやってもらっていたところから、「自立」することで成長していくわけです。

しかし「自立」の状態は、その大きな恩恵がある裏側で、「依存」時代とはちがう、さまざまな問題を引き起こします。

なぜ人が「自立」するかといえば、「依存」の状態が辛いからです。

自立的な傾向が強い人ほど、「依存」時代に深く傷ついた経験がある、といえます。

「依存」とは、相手に振り回される状態です。

いつ好きなおもちゃを与えてもらえるかは、相手次第。

それが辛いから、自分で歩いて、自分の手で好きなおもちゃを取りにいこうとする。

好きなおもちゃを与えてもらえなかった、という想いが強ければ強いほど、「自立」を深めるのも、当たり前ですよね。

そのように「自立」していくと、自分のなかに「ルール」をつくります。

「ルール」とは、「観念」、「思い込み」、「ビリーフ」、あるいは「正しさ」とも呼ばれます。

「好きなおもちゃが欲しければ、自分の足で取りにいかないといけない」

というように。

自分でできることを増やして、「自立」を深めれば深めるほど、この「ルール」や「正しさ」も増え、また強固になっていきます。

そして、人間関係での「競争」が問題になるときは、この「ルール」「正しさ」がぶつかります。

自分の「正しさ」と相手の「正しさ」がぶつかる。

どちらが正しいかという勝ち負けに、こだわる。

これが、「競争」の心理です。

だから「自立」は負けられない

そうした「競争」になったとき、「自立」的な人ほど、勝ち負けにこだわります。

相手のやり方や意見を認めることができず、争いになってしまう。

それは言い争いになる場合もあれば、冷戦のように心の中でわだかまりを抱える場合もあります。

「こうするのが、当たり前だ」
「あいつが考えを改めるべきだ」
「絶対に、向こうがおかしい」

…などなど、表面上は取り繕っても、心の奥底でそういった想いを抱えて、「競争」してしまうこともあります。

しかし、なぜここで負けられないのでしょうか。

スポーツの試合のように、勝ち負けを決めるためにやっているわけではないのに、いつの間にか人間関係のすべてが「勝ち負け」「正しい・間違っている」という点に集中してしまう。

パートナーシップでも、仕事の人間関係でも、「勝ち負け」を決めるための関係では、ないはずなのに。

 

どうして、「自立」にいる人は、「競争」にこだわり、負けることができないのか。

それは、ひとえに「依存」時代の傷が疼くからです。

それは、「競争」で負けてしまうと、またあの「依存」時代に逆戻りしてしまう気がするからです。

自分では何もできず、ただ相手に振り回されていた、あの辛さ。

常に誰かに何かを求めていないといけない、あのみじめさ。

自分の求めたものが与えられなかったときの、あの無価値感。

そうした「依存」時代に味わったしんどさを、もう二度と味わいたくない。

そのために、「自立」してきたのに。

だから、「自立」の状態にいる人は、「競争」で負けられないわけです。

それは、「負けられない」というよりも、負けたら自分が自分ではなくなるような、そんな怖さともいえるのかもしれません。

負けたら、もう自分が消えてしまうような。

だから、絶対に負けられないし、「競争」で勝ち続けるしかないわけです。

3.ほしかったものは、何だろう?

「競争」は人間関係の毒

至極当たり前の話ですが、こうしたネガティブな意味での「競争」は、人間関係の毒になります。

自分が勝ち続ける、ということは、相手は負け続けるわけです。

負けることのみじめさや辛さを、相手は味わい続けることになります。

また、自分の正しさを証明するたびに、相手は間違っているということになります。

しかも、それは自分と一緒にいる限り、ずっと続くわけです。

つねに負け続ける状態、あるいはいつも間違っているといわれる場所に、居続けたいと思うでしょうか。

…はい、思わないですよね。

スポーツの世界では、勝ち続けると称賛され、人が集まってきますが、人間関係において「競争」していると、勝ち続けるほどに人が離れていきます。

かつて、私が「自立」をこじらせていたころ。

よく仕事で、上司なんかと衝突してしました。

「私は、絶対に間違ったこと言ってないですから」

そう言って、いつも正しさを押し通そうとしていました。

結果、それが正しかったとしても、私は孤独と孤立を深めるだけでした。

イヤですねぇ、ほんと…「競争」なんて…(遠い目)

「競争」は、人間関係の毒。

当たり前ですが、何度でも立ち返りたい真理です。

「自立」をしても、ほんとうの意味では満たされない

「競争」は「自立」と密接に関係があります。

先に見たとおり、「自立」とは「依存」時代の傷が、その原動力になっています。

もう、あんな辛い想いをしたくない。

あんなにしんどいのは、もうイヤだ。

傷ついた経験がもたらす、そうしたネガティブな感情を感じたくない。

それが、「自立」のエンジンです。

「自立」していれば、そうした辛い感情を感じなくて済むから、そのポジションから降りられない。

そのために、「競争」したりもする。

しかし、「自立」をしても、私たちがほんとうの意味で満たされることがありません。

なぜなら、「依存」時代に満たしてほしかったのは、このネガティブな感情の根っこになる欲求の方だからです。

上に挙げた、「与えてもらえなかったおもちゃ」の例。

遊びたかったおもちゃを、取ってもらえなかった。

もう、それなら自分で取るよ!とばかりに、自分の足で立ち、自分の手を使って、そのおもちゃを手に取ります。

これが、「自立」ですよね。

その手に入れたおもちゃで、一時は満たされるかもしれません。

しかし、その子がほんとうにほしかったのは、おもちゃではないのかもしれません。

ほんとうにほしかったのは、実は「自分のことを見て、そして愛してほしい」という想いに、応えてもらうことの方です。

そして、「自立」をすればするほどに、この想いを満たす方向とは、真逆に進んでいきます。

だから、「自立」を深めると、自分ができることが増えて、自分で手に入れることが増えるのに、言いようのない渇き、あるいは満たされない感じを覚えるようになります。

とても、切ない話なのですが。

「競争」を手放すためには、その渇きに気づき分かち合うこと

長々と「競争」の心理を見てきました。

「競争」を引き起こすのは「自立」であり、「自立」の底には「依存」時代の満たされない想いが横たわっている。

そうなると、まずはその「満たされなかった想い」に自覚的になることです。

誰もが、別にすすんで「競争」をしたいわけでは、ないと思います。

大切な人を、打ち負かしたいと思うわけがないと思います。

「競争」する代わりに、自分にとっての「満たされなかった想い」が何なのか、そこに向き合ってみることです。

向き合うために、いくつかの問いかけをお伝えします。

よろしければ、ゆっくり考えながらお読みください。

 

あなたが、どうしてもゆずれないとき。

あなたが、相手がまちがっていると強く感じるとき。

あなたが、自分だけが正しいと感じるとき。

もちろんあなたは、なにもまちがっていません。

 

その上で、内なるあなたに、問いかけてみてほしいのです。

 

あなたは、「競争」がしたいのでしょうか。

それとも、つながりをつくりたいのでしょうか。

 

もしも、つながりをつくりたいとするなら。

それを阻んでいる傷は、なんでしょうか。

なにか、満たされなかった想いはありますでしょうか。

もしあるとしたら、あなたは、どのようにそれを満たしてほしかったのでしょうか。

どんな言葉を、かけてほしかったのでしょうか。

 

よければ、その言葉を、あなた自身が、そのときのあなたにかけてあげてみませんか。

そして、もし、できることならば。

その想いを、誰かに分かちあってみませんか。

 

できることならば、あなたのたいせつな人に。

 

「競争」を降りるための、一つの問いかけ、ワークでした。

今日は、「競争」の心理について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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