私たちは、過去に満たされなかったニーズを、現在に満たそうとします。
よくパートナーシップでもそれをしようとしますが、それは原理的に不可能なようです。
その葛藤を解消するためのヒントを、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.現在に、過去のニーズを満たすことはできない
多くの人が過去に満たされなかったニーズを取りかえすために、それを現在のパートナーに求めます。
すると、パートナーを過去の出来事の人質にしてしまうという問題が起こります。
相手をあやつり、特定のやり方で与えさせ、自分の面倒をみさせ、現在の状況のなかで過去のニーズを満たそうとするのです。
でも現実には、それは不可能なことなのです。
いま現在、「過去に生きよう」とすれば、相手との関係を制限するだけでなく、パートナーが思いのたけを、あなたに与えることも制限してしまいます。
過去を手放して、ありのままのパートナーを受け入れ、本当に楽しみましょう。
あなたが過去を手放したとき、癒しが起こります。
そして逆説的なのですが、過去を手放すと、そのとき、手に入れようとしていたことをいま、受けとることができるのです。
過去を再現しようとするかぎり、あなたはつねに満たされないままです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.348
2.満たされなかった過去に対して、できること
今日のテーマは、何でしょうね。
現在に過去を満たすことはできない、というテーマですが、一言で表すのは難しそうですね。
まあ、ゆっくりと書いてみます。
親からもらえなかったものを、パートナーにもらおうとする心理
過去に満たされなかったニーズを、現在に求める。
これは、誰もが無意識のうちにやってしまうことです。
はい、あなたも、わたしもです笑
その最も象徴的なものが、パートナーシップであらわれたりします。
多くの人が、親からもらえなかったものを、パートナーに求めます。
親が厳しくて、甘えられなかったから、やさしく受け入れてくれるパートナーを求めたり。
あるいは、親が忙しくて寂しい想いをしていたから、いつも一緒にいてくれるパートナーを求めたり。
そのようなことは、本当によくあります。
しかし、パートナーがそうした「愛し方」をしてくれるうちはいいのですが、そうすることができないと、強い怒りを感じたり、あるいは絶望したりします。
もちろん、パートナーに親からもらえなかったものを求めることが、いけないことだ、と言いたいわけではありません。
むしろ、そんなお話をお伺いするとしたら、「それを求められるパートナーに出会えて、よかったですね」とお伝えすると思います。
ただ、気づいていさえすれば、いいんだと思います。
親に与えてほしかったものを、パートナーに求めることが、原理的には不可能だ、と。
過去に満たされなかったニーズを、現在に満たすことはできない、と。
もちろん、頭ではわかっていても、無意識にしてしまうのが、私たち人間なのですけれどね笑
だから、何度でも気づけばいいんだと思います。
過去に対してできるのは、手放すことだけ
私たちは、過去に満たされなかったニーズを、現在に満たすことはできません。
私たちが、過去に対してできるのは、受容であり、そして手放すことです。
受容とは、「過去の自分はそうだったんだな」と気づき、それを自覚することです。
やっかいなことに、私たちは過去の満たされなかったニーズに、無自覚なことがあります。
なぜ、自分がこんなにもパートナーと会える頻度を気にしてしまうのか。
なぜ、パートナーから「愛している」と言われないと不安になってしまうのか。
そうした、いま現在に感じている不安や怖れは、過去の満たされなかったニーズからきている場合があります。
しかし、なかなかそこに自覚的でいることは難しいものです。
意識がいま現在に向いているようで、実は過去に引きずられていたりする。
その過去のニーズに、まずは気づくことが大切です。
「一緒に過ごす時間が少なかったから、愛されているのか不安だったんだな」
「愛情を、ちゃんと言葉で伝えてほしかったんだな」
そうした過去のニーズに、自覚的であること。
それは、逆説的ですが、心の平安にとってとても大きな影響を与えます。
そのニーズに気づくだけでも、満たされるものがあります。
だから、それに気づいたら、それをどうこうしようとしないことです。
具体的には、そのニーズを感じた状況や、周りの人たちを、判断したり裁いたりしないことです。
ただ、そうだったんだ、と。
自分は、そう感じていたんだ、と。
それだけでいいんです。
自分が求め過ぎていたのかもしれない、と自分を責めたり、
普通ならしてくれたはず、と裁いたりしないことです。
ただ、そうだったんだ。
そう感じていた。
満たされなかったんだな。
そのことを、自覚するだけでいいんです。
そして、それに気づいて、満たされなかった気持ちを感じていると、やがてそれがゆるんでいきます。
そうしていくと、満たされなかった過去を手放していくことができます。
過去の満たされなかったニーズを、いま満たすことはできません。
私たちにできるのは、それを手放すことだけのようです。
3.「愛する」とは、何ぞや?
自分の求めるように愛されることは、可能なのか?
さて、満たされなかった過去には、手放すことしかできない。
それを、いま現在のパートナーに求めても、なかなかうまくいかない。
私たちは、自分なりの愛し方で、人を愛そうとします。
そしてまた、その愛し方で、愛されたいと願います。
その「自分なりの愛し方」のベースになるのが、過去に自分がどうやって愛されたかであり、そして愛してほしかったというニーズです。
ここにこだわりすぎると、自分の愛し方以外の方法では、愛情を受けとれなくなってしまうことがあります。
「こんなのは、愛しているといえない」
「大切にしているんだったら、こうするはず」
といったように。
今日の引用文にある、「パートナーを過去の出来事の人質にしてしまう」という表現は、それを指していると私は思います。
もちろん、いっときは相手もそうした愛し方を、してくれるかもしれません。
特に、恋愛初期においては、そうかもしれません。
しかし、それを続けていくと、相手のなかに「自己不一致」が起こってきます。
「自分が愛したいように、愛を伝えられない」
「愛を伝えるためにこうしたいのに、できない」
それはまるで、自分を偽っているような、そんな辛さであり、絶望感です。
愛し方は、100人いれば100通りの愛し方があります。
似ているように見えても、それは一人一人、違うものです。
「桜」という名前でくくることができても、一つ一つの桜の花は、違うように。
自分の100%求めるように、パートナーから愛されるということは、原理的に不可能なようです。
…はい、ブログを閉じないでくださいね笑
ここだけ聞くと、「じゃあ、相手にあわせて、我慢しろってことなのか?」と思われてしまうかもしれませんが、そうではありません。
愛の間口を広げるために
ここがパートナーシップの深淵さでもあるのですが、あなたと同じように、相手もまた、愛されたいと思っています。
それは、あなたとは違う方法かもしれません。
この世の中には100万通り、1億通り、いえ、無限の愛し方があります。
パートナーは、どんな愛し方に、愛を感じるのだろう。
どんな愛情表現をすると、喜んでくれるのだろう。
それを考え、そして実践してみることは、パートナーシップのみならず、あなた自身にも、大きな大きな恩恵を与えてくれます。
決して、我慢して、その方法を選ぶのではありません。
「どんな風にしたら、喜ぶだろう?」という、ある種のゲームのような感覚で楽しむことができれば、相手も受け取りやすくなります。
それをすることの恩恵とは、あなた自身の「愛を受けとる間口」を広げてくれることです。
いままで、スルーしていた相手の言動から、愛を受けとることができるようになります。
それは、パートナーのみならず、あらゆる人から、受けとることができるようになります。
これが、パートナーシップの偉大さであり、また人間的成長を促してくれる素晴らしさでもあります。
不思議なことですが、そうしていくと、過去の満たされなかったことが、満たされていくのです。
あなたは花園のなかを歩いているのです。
あなたが目をあければ、まわりじゅうの美しさと芳しさがつつんでいることに気づくでしょう。
同上
ぜひ、一度実践していただければ幸いです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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