大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

目の前の人との関係性もまた、自分自身の心のなかの「投影」かもしれない。

自分の心のなかを、外の世界に映し出すことを「投影」といいます。

それは、人や物に対しても起こりますが、関係性そのものにも起こりえます。

そんな「投影」の心理について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.パートナーとの関係は、あなたの反映

あなたが「岩」でパートナーが「沼」なら、二人の関係について岩のように考えることでしょう。

あなたにとってその関係は、なぜかあまり滋養が受けとれず、必要な理解が得られません。

その関係は支配的できびしものに見え、あなたにとっては犠牲と重荷の経験となるでしょう。

 

あなたが「沼」でパートナーが「岩」なら、あなたにとって二人の関係はドロ沼のように思えるはずです。

必要な援助が得られず、あなたにとっては個人的な部分が満たされない感じがします。

その関係はあなたからエネルギーをうばいます。

当然自分のものだったはずのエネルギーがうばわれ、ときにはまるでガラスの上を歩くように気をつけなければなりません。

あなたには、この関係は焦点の定まらない感情だらけで、明確な方向性がないように見えることでしょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.366

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2.関係性に自分自身を投影すること

「岩」と「沼」のタイプについては、こちらの記事をご参照ください。

ごくごく単純化するなら、「岩」がストイック、犠牲的、聞き手で、「沼」がヒステリック、感情的、話し手です。

便宜上、そうした分類をしているだけであって、どちらがいい/悪いという話ではありませんし、他人を断定したり判断したりするためのものではありません。

ここは、何度でも注意が必要なところです。

あくまで、目的は「他人と円滑なコミュニケーションを取ること」です。

「投影」の法則

さて、今日のテーマですが、「投影」の心理になるでしょうか。

「手放し(許し)」とあわせて、心理学における最重要なテーマとしてあげられることも多い「投影」の心理。

今日は、その意外な視点について、見ていきたいと思います。

「投影」とは、自分の心のなかにあるものを、外の世界に映し出すことを指します。

大きく分けて、3つのパターンがあります。

  1. 自分のなかの感情を、人や物、風景に投影する
  2. 過去に出会った人を、目の前の人に投影する
  3. 自分の価値観や考え方を、人やものごとに投影する

この3つのパターンですね。順番に見ていきましょう。

1.自分の感情を、人や物、風景に投影するパターン

これは、最も分かりやすいパターンです。

同じ夕暮れを見ても、そこから何を感じるかは、人によって千差万別です。

金曜日に会社帰りに見る夕暮れなんかは、解放感に満ちあふれているかもしれません。

天皇賞でスッカラカンになってみる日曜日の夕日は、非常に寂しげかもしれません。

自分の中にある感情を、外界に映し出すというパターンです。

昔、住んでいた街なんかは、その名前を聞くと、当時の感情を思い出したりしますよね。

これは、私たちの感覚的にも、非常に分かりやすいものといえます。

2.過去に出会った人を、目の前の人に投影する

これは、パートナーシップでよく起こる「投影」のかたちの一つです。

いま目の前にいるパートナーから、何らかの印象や感情を抱いたとき。

それは実は、過去に誰かから受けた印象や感情を、映し出しているだけの可能性があります。

それは、いまの前のパートナーに抱いた感情かもしれませんし、突き詰めていくと、親に対して抱いていた感情かもしれません。

よくあるのが、パートナーに対して苛立ったりしたとき、実はその苛立ちや怒りを向けたかった相手は、過去の別の相手だった、というパターンです。

だから、パートナーシップは「代理戦争」なんていわれたりするのは、そういった意味からです。

こちらは相手に母親を投影し、相手はこちらに父親を投影している。

そうすると、二人の間でこじれているように見えて、実はお互いのベクトルはあさっての方向に向いているわけです。

それに気づかないと、なかなかこの葛藤を癒すことは難しくなります。

けれども、これ、ほんとうに注意深く自分の感じていることを見ていないと、気づかないんですよね。

ということで、なかなか気づかない、「投影」の2つめのパターンでした。

3.自分の価値観や考え方を、人やものごとに投影する

この3つ目が、一番気づきにくいと言えるかもしれません。

私たちは、自分自身の価値観、フィルター、色眼鏡、考え方、ビリーフ、観念、思い込みといったものを通して、世界を見ています。

「お金はがんばって稼がないといけないもの」といったものから、「LINEの最後はスタンプで終わるべし」といったものまで、無数の価値観を私たちは信じています。

その価値感は、数万から数十万くらいあると言われたりもします。

そして、そうした価値観を、私たちは周りの人やものごとに投影します。

それは、ほとんど無意識的に判断しているので、気づくのが難しいものです。

視界に無色透明のフィルターがかかっていたとしたら、それに気づくのは難しいですから。

パートナーシップそのものに、自分自身の価値観を投影する

さて、先に挙げた「投影」の3つのパターンのうち、3つ目のパターンが、今日のテーマともいえます。

引用文で示されているのは、「岩」の傾向を持つ人は、パートナーとの関係そのものを、「岩」のようにガチガチなものに見えてしまう。

その逆に、「沼」の傾向がある人は、相手との関係を「ドロ沼」のように感じてしまう、といいます。

これは、自分自身の内面にある風景を、パートナーとの関係に映し出している、と見ることができます。

「岩」の人にとっては、パートナーシップとは我慢と忍耐そのものであり、変化に乏しく、またいつも渇いている関係に見えてしまいます。

「沼」の人にとっては、パートナーシップとはいつも体力と気力をうばわれ、とても感情が動いて疲れるものであり、糸の切れた凧のように感じるかもしれません。

それらはパートナーシップに、自分自身の心象風景を映しだしているに過ぎません。

本来、パートナーシップと呼ばれる二人の間の関係性とは、もっと自由なものであるはずです。

それを、自分自身を「投影」してしまうと、いつも苦しいものになってしまうかもしれません。

そして、やっかいなことに、それはなかなか自分では気づきづらい、ということです。

なんたって、「投影」の3つのパターンのうち、最も気づきづらいのが、このパターンなのですから。

3.葛藤は、投影を取り戻すためのきっかけ

パートナーシップそのものに、自分自身の価値観を「投影」してしまう。

そして、それに気づくことは、非常に難しい。

じゃあ、どうしたらいいの?という話になりますが、希望はあります。

というか、一見そうは思えないところに、希望は落ちていたりするものです。

パートナーシップで疲れたり、あるいは強い葛藤を感じたりしたとき。

そうしたときが、自分自身の「投影」に気づくチャンスでもあるんです。

相手との関係性に疲れたとき。

もうどうしようもないと感じたとき。

あるいは、どうやってもうまくいかないと思ったとき。

そうしたときが、実は自分自身の思い込みの枠を広げるチャンスであり、またパートナーシップを深める機会でもあります。

「そのままの価値観、ものの見方では、うまくいかないですよ」というサインといえます。

これは、問題についての見方とも、よく似ています。

そこにいたると、知識を仕入れたり、深く考えたり、あるいは他人を頼ったりして、自分の世界を広げていくことができます。

あなたの心は、あなたの魂は、もっと自由であるはずです。

そしてそれは、相手もまた、同じです。

ただ、童心のなかで遊ぶように、その人と関われたのなら、どんな気持ちになるでしょうね。

砂浜で、砂のお城を一緒につくるように、そんな風に遊ぶように。

時に、そのお城が波に流されても、それを笑いあうように。

時に、自分が想像もしていなかったような、美しい砂のお城ができるかもしれません。

時に起こるパートナーシップでの葛藤は、そんなところにいたる道の途中にあるのでしょう。

 

今日は「投影」の心理と、パートナーシップについてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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