大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

受けとることは、与えることの最高のかたちのひとつ。

自立的な人ほど、与えることばかり考えていて、自分が受けとることには無頓着になってしまいがちです。

しかし、受けとらずに与えることは、自分を犠牲にしているため、周りの人に申し訳なさや罪悪感を配ってしまいます。

受けとることの偉大さと、それでもなお与えたいと感じる方に向けて、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.受けとることは、与えること

受けとることは、与えることの最高のかたちのひとつです。

実際、受けとれば受けとるほど、自然にまわりの人すべてに豊かさが伝わっていきます。

私たちが受けとろうとする心こそ真の贈り物です。

ところが、よろこんで与えることはできても、受けとることがなかなかできないという人が多いのです。

これでは、あなたは自分が犠牲することになってしまいます。

 

二人のパートナーシップが「相互依存」の段階に到達するまで、私たちはパートナーから受けとることを本当に怖れます。

でも、受けとることのよろこびを知ったとき、私たちが受けとると周囲の人たちも愛されていると感じるのです。

 

子供が一本の雑草を、まるで世界でもっとも美しい花であるかのように、あなたに与えてくれたとしましょう。心からの愛をこめて与えるという行為が、雑草を美しい贈り物へと変容させるのです。

それと同時に、子供の愛の変容の力をあなたが受けとることもまた、子供への贈り物なのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.84

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2.「受けとる」と「与える」のバランス

かくも難しき、「受けとる」こと

今日のテーマは、「受けとることは、与えること」

はい、タイトルを読んでそのまま、ですね。

しかし、シンプルながら含蓄が深く、私もまだまだ学び、絶賛実践中のテーマでもあります。

私が心理学を学びはじめたころ、一番衝撃を受けたテーマの一つが、この「受けとる」というテーマだったように覚えています。

自立を深めていた私にとって、「受けとる?何それ、美味しいの?」くらいの、異世界のテーマでありました笑

いまでも、苦手ですねぇ・・・

自立に振れている人は、「与える」ことは日常的にしているのですが、「受けとる」となると、極端に苦手という方は多いものです。

褒められたりすると、高速首振りマシーンのごとく、「いえいえ、そんなことは…」となってしまう心当たりは、ありませんでしょうか。

受けとらずに与えることは、犠牲である

受けとらずに与えることは、本当の意味で与えることではありません

引用文にもある通り、それは自分を犠牲にしています。

とっても美味しい料理を配っている料理人が、お腹をぐうぐうと鳴らしていたら、どう感じるでしょうか。

寒いからこれを着なさい、と上着を渡してきたお母さんが、薄着で鼻をすすっていたら、どうでしょうか。

熱っぽいなら、病院に行ったら?という同僚が、すり傷だらけの顔をしていたら、どう思うでしょうか。

「いやいやいや・・・」と、与えられた方は申し訳なさを感じて、気持ちよく受け取れないのではないでしょうか。

「そんなバカなことを」と笑いながら、真顔でそれをやってしまうのが、自立の人たちです。ええ、私もそうでした笑

自立の極みにいると、その自分がぼろぼろになっていることに、気づいていなかったり、蓋をしていたりします。

それもまた、切ないことです。

仕方ないといえば、仕方ないのでしょうけれど。

自分が満たされてこそ、与えられると表現することもできますし、受けとることと与えることはワンセットだと言うこともできるでしょう。

3.与えさせて「もらう」

受けとることは最高の贈り物

「受けとろうとする心こそ、最高の贈り物」

心に刻んでおきたい、金言です。

いままでどれだけ、周りの人から愛情を与えらえてきたのか。

それを受けとることは、「ここにいること」が奇跡であることを、思い出させてくれます。

そして、そう感じれば感じるほど、その人の生は輝きます。

その輝きは、周りの大切な人への、最高の贈り物になります。

このサイクルに入れると、「相互依存」に近づけるとも言えるのでしょう。

それでも与えたい人へ

そうはいっても、与えたくなってしまうものです。

それを自立だったり、犠牲だったりといった面から、見ることもできます。

そうした場合には、「受けとる」ことを意識することが、もちろん大切です。

けれど、そこまでして「与えたい」人には、それをかけがえのない才能として見ることもできるのでしょう。

全身全霊、全力で与えたいと願う人たち。

そんな人には、「受けとりましょう」よりも、「与えさせてもらいましょう」というフレーズの方が、しっくりくるのかもしれません。

要は、自分に合う方法で、バランスを取ればいいと思うのです。

与えさせて「もらう」。

受けとる人がいてこそ、与えさせてもらえる。

受けとってもらえることへ、感謝をする。

それだけでも、いいのかもしれません。

結局のところ。

受けとるも、与えるも、同じ愛の表裏なだけなのでしょうから。

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