「タイミングは常にベスト」という言葉があります。
この先の未来がよくなると希望を持つことと、いまを受け入れることは、「自分の与えられた生を生き切る」ための、両輪のようなものといえます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.私たちはつねに、自分のレッスンを学ぶための完璧な場所にいる
すべてのことはつながりあっているようです。
そして「たまたま偶然に起きること」などひとつもありません。
私たちはいつでも、自分が学ぶのに完璧な場所にいるのです。
まさに「弟子に準備ができたとき、師があらわれる」のです。
あなたに準備ができたとき、人生でいま学ぶべきことや成長すべきところを見せてくれる、まさにピッタリの状況がそこにあらわれます。
そして人々は、あなたが前に進むのを助け、教え、援助するためにそこにいるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.376
2.「タイミングは常にベスト」の光と影
今日のテーマは、心理学というよりも哲学的なお話しですね。
理論立てて説明するよりも、感覚的なお話になってしまうかもしれません。
「タイミングは常にベスト」と、よく言われます。
「プロセスは常に完璧」という言葉も、それと似ているのかもしれません。
今日の引用文の「弟子に準備ができたとき、師はあらわれる」というのも、それに近いですよね。
このような言葉は、どちらかというとポジティブな印象の文脈で使われることが多いようにも感じます。
どんなに悪いことがあっても、それはプロセスの一部であり、この先にはいいことが待っている、という希望を持たせる文脈ですね。
もちろん、そういった解釈が間違っているわけではありません。
けれども、その言葉が意味するところは、その真逆のところにあったりするように、私には感じられるのです。
「禍福は糾える縄の如し」ともいいますが、一見とんでもなくアンラッキーな出来事のように見えても、長い目で見れば、良いか悪いかなんて判断は、できないものです。
人生最悪のできごとが、「あれがあったからこそ、いまの自分がある」といえるようになることだって、そんなに珍しいことではないのかもしれません。
実際、それは私にしてもそうです。
「それがあってよかった」と100%言い切ることが難しいできごともありますが、それでも、それに近い感覚になることはあります。
それは、「いい」「悪い」という価値判断を超えて、「それがなければ、自分が自分でなくなってしまう」という感覚に近いのかもしれません。
ドイツの哲学者、ニーチェの言葉に、
もしせむしからその背のこぶを取るならば、それはかれの精神を取り去ることになる
という言葉がありますが、それに近いものがあるのかもしれません。
「これさえなければ」と何度も考えた、自分の持病、過去の失敗、身体的な特徴、あるいは性格や生い立ち。
そういったものがあったとして。
けれども、「それがなかったとしたら」いまの自分は存在しないし、その自分は自分ではない。
そして、そんな自分になりたいとも、思わない。
そういった意味に、近いように感じるのです。
それは、静かなあきらめといえるのかもしれません。
人の生のなかでは、どうしようもないことがあります。
天災や事故、あるいは人の悪意や業、そういったもので、突然に大切な人やもの、あるいは場所が失われたりもします。
それは、ある日突然にこの身に降りかかったりもします。
それがなければ、どれほどよかったか。
何度そう思っても、思い足りないような、そんなことが起こったりもします。
そうしたできごとを、「完璧なプロセス」の一部としてとらえることと、「それがなければ、いまの私は存在しない」という静かなあきらめとは、表裏一体のように思うのです。
3.未来へ希望を持つことと、いまを受け入れること
「タイミングは常にベスト」、それは一つの真実です。
しかしそれを、ポジティブな面だけからとらえるのは、非常にもったいないように感じます。
それは、ある人を見るときに、「あの人は優柔不断だから」という一方だけから見ることと、似ているようにも思います。
それも、一つの見方ですが、その片方だけから人を見るのは、とてももったいない。
その人の持つ光の部分であったり、価値、魅力、才能といった部分からも見ることができると、深みのある関係を築いていくことができます。
「タイミングは常にベスト」。
それは、確かに真実であり、プロセスは完璧であるというのも、真実なのでしょう。
「これだけひどいことがあったのだから、これから先は、よくなるだろう」
たしかに、そう考えて未来へ希望を持つことは、大切なことです。
しかし、それと同じくらいに、いま起きていることを肯定すること、それを受け入れることは大切なことだと思うのです。
それは、車の両輪のようなものなのかもしれません。
ただただ、いま起きていることを、是とすること。
それを受け入れること。
その先に、静かな希望は立ち上がるように思うのです。
それは、「これからはよくなる」という希望の先送りではなく。
いまこの瞬間の生を肯定し、この与えられた生を「生き切る」という、ある種の覚悟ともいえます。
うわべだけの希望でもなく。
単なるあきらめなどでもなく。
「自分の生を生きる」ということは、その狭間にあるように思うのです。
今日は、少しとりとめもないお話になってしまいました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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