大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「心配」をしてしまう心理と、それを癒す「祝福」について。

誰かを「心配」してしまう心理の底には、「怖れ」が潜んでいます。

それは信頼の欠如ともいえるのですが、それを癒してくれる「祝福」の力についてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる

心配はつねに「いやなことが起きるかもしれないよ」とささやきます。

だれかのことを心配するときは、その人やそうした状況をまったく信頼していません。

そこでは心の力を否定的に使って、その人に自信を失くさせ、その状況に怖しい要素が入りこむことを許してしまうのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.386

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2.「心配」の心理

今日のテーマは、「心配」の心理でしょうか。

日常会話でもよく使う「心配」ですが、その心理を少し掘り下げてみます。

「心配」と「期待」、その根底にある「怖れ」

「心配」とは、「何かとても悪いことが起きるかもしれない」という想像をしてしまう心理です。

それは自分のことであったり、周りの人のことであったり、あるいはものごと全般に対して抱くこともあります。

その特徴としては、ネガティブな面だけに目を向けている、という点があります。

ものごとにはポジティブな面とネガティブな面の両方ありますが、「心配」とは、その片方だけにとらわれている心の状態といえます。

「最近、全然会いたいって言ってこないけれど、あの人は私の事をどう思っているんだろう…」

「世の中、暗い話題ばかり。この子の将来は大丈夫なんだろうか…」

などなど、ネガティブな想像ばかりを働かせてしまう場面は、誰にでもありますよね。

反対に、ポジティブな面だけを見てしまう状態は、「期待」です。

「心配」も「期待」も、ものごとの片方だけを見ている状態であり、現実を見ていないともいえます。

現実を見るかわりに、自分だけに目がいってしまっている状態。

そのどちらも、根底に「怖れ」の感情が流れています。

「こうならないといいな」「こうならないとイヤだな」という不安な気持ち。

それを、なかば無理矢理にポジティブに見ようとして隠しているのが、「期待」。

それをそのままに表現して、ほんとうにそんな現実が起きたときに「ほら、そうなった、やっぱりそうだ」とする予防線を張っているのが、「心配」。

どちらも、その奥底にあるのは「怖れ」の感情です。

そして、「怖れ」とは「愛」と真逆の性質を持ちます。

誰かを愛することは、その人にとって限りない力になります。

しかしその逆に、誰かを心配したり、期待したりすることは、その人の持っている本来の力を、失わせてしまうものです。

「心配」とは、信頼の欠如でもある

「心配」とは、「怖れ」からやってくる。

そして、「怖れ」とは「愛」とは真逆の性質を持つ。

「心配」している時、私たちはその相手を信頼していません。

「宿題やったの?」とゴロゴロしながらスプラトゥーンに没頭する我が子に対して心配するとき、それは絶対に「どうせやってねえだろう、コノヤロー!」という感情があるわけですね、はい笑

信頼されていない相手が、何かを返してくれることはありません。

お望み通りの結果を、我が子は返してくれているだけです。

それは、愛情と同じです。

自分から与えていないのに、「だって、あの人が与えてくれないんだもん!」と拗ねることと同じようなものです。

だれかのことを心配するときは、その人やそうした状況をまったく信頼していません。

まさに、引用文の通りです。

ただ、なぜ信頼できないかといえば、それは「傷つきたくないから」ともいえます。

裏切られるのが怖いから、誰も信頼しない、と一人の世界に閉じこもっていることと似ています。

そう考えると、「心配」とは傷つきたくないがゆえに、予防線を張っているような心理、と見ることもできそうです。

3.「心配」をするかわりに、祝福を

「心配」とは、傷つきたくないがゆえの予防線。

しかし、傷つくというのは、私たちがする大きな勘違いです。

真の意味で信頼しているとき、私たちは裏切られることはありません。

真に信頼しているとき、どんな結果や状況があらわれたとしても、それもまたプロセスの一部として、信頼を続けることができます。

もちろん、一時的に落ちこんだり、ショックを受けたりすることもあるでしょう。

けれども、相手の価値や才能、あるいは魅力から目を逸らさずに見続けることができます。

それは自分の価値を信じ続けることと、同じことだといえます。

愛もまた、似たような形を取りますよね。

自分自身のなかに愛が宿るとき、相手の反応は全く気にならなくなります。

「それでも、私はあなたを愛している」

「どんな選択であれ、あなたの選択を尊重する」

そう思えたとき、私たちの心のなかには決して消えない、熾火のような温かな愛が宿ります。

そうすると、どんな結果や状況が訪れたとしても、その熾火は消えず、私たちは幸せを感じられます。

それは、「手放せるほどの愛」、あるいは「無償の愛」とも呼ぶのでしょう。

傍から見たら、変態さんのように見えるのでしょうけれどね笑

とはいえ、いきなりそんな心境にいたることも難しいものですし、大切に想うほど「心配」したくなるのが人情ですよね。

だから、「心配よりも信頼を贈りましょう」といいます。

ただ、「信頼」といっても、イメージがつきづらいかもしれません。

寝転んでマリオカートに熱中する我が子を「信頼」するとは…?というように笑

そんなときは、「祝福」をイメージするのがおすすめです。

だれか、または何かについて心配したくなったときには、いつでもあなたの祝福を与えましょう。

同上 p.386

「祝福」とは、「信頼」のかたちの一つです。

そして、「祝福」とは「心配」を癒すことのできる力を持っています。

相手に、そしてその人を取りまくすべての世界に、素晴らしいことが起きますように。

その未来が、愛にあふれるものでありますように。

そう祈ることが、「祝福」です。

それは、いつでも、どんなときでも、いまこの瞬間にできることであり、私たちが選択できることでもあります。

誰かを「心配」したくなったときは、「祝福」を。

今日は、「心配」の心理と、それを癒す「祝福」についてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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