心が「痛み」を感じるとき、それは心が広がろうとしているときです。
またそれは、自分にとってそこから得られるものがある、という証でもあります。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.すべての痛みは誤解の結果
苦しみとは、あなたがまだ理解していないことが何かあるということです。
完全な理解に達すれば、痛みにつながるようなニーズはすべて癒されます。
そして、理解があれば、痛みとしての抵抗も突きぬけてしまいます。
あなたが停滞して先に進むのを拒んでいるところには、痛みと怖れ、そして満たされないニーズがあります。
けれどもすべてを理解したとき、そのプロセスが展開し、怖れを乗り越えることができます。
するとニーズは満たされ、自然にまわりの人と調和した信頼関係が生まれるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.394
2.「痛み」があるのであれば、そこに得るものがある
今日のテーマは、「痛み」でしょうか。
特に心理学用語というわけでもないのですが、少し「痛み」の持つ意味について、考えてみたいと思います。
「痛み」とは、自分の世界が崩れたときに感じるもの
私たちが、何がしかの心の「痛み」を感じるとき。
悲しみや苦しみ、あるいは寂しさ、虚しさ…いろんな心の「痛み」があります。
はい、できればご遠慮願いたいものではあります笑
ただ、そうした「痛み」を感じるとき。
それは、自分の世界が崩れたことを教えてくれるものといえます。
たとえば、信頼していた人に裏切られた、と「痛み」を感じたとします。
「お金を貸したのに、音信不通になってしまった」
「パートナーが、別の人に浮気していることを知ってしまった」
「せっかく仕事を任せたのに、納期を守ってくれなかった」
…などいった場面があったとします。
そうしたときに、「痛み」を感じるのであれば。
私たちの心の中では、価値観、世界観、当たり前といったものが崩れたことが原因と見ることができます。
「こちらがこれだけ信じていたのだから、裏切るのはおかしい」
「そんな行動をするなんて、普通に考えて不誠実だ」
そういった形で、自分にとっての当たり前の世界が崩れたがゆえに、「痛み」を感じるといえます。
そしてそれは、相手がもたらしたものであり、自分ではどうしようもできないことだと考えてしまいがちです。
しかし、そうした「痛み」が辛いのは、自分が信じたということに対して、何がしかの報酬や見返りを求めているというニーズがあるから、と見ることができます。
「痛み」とは、心が広がる合図
「痛み」とは、そのニーズが満たされないがゆえに、感じるもの。
そうして見ていくと、「痛み」とはただ辛いもの、しんどいものではなく、自分の心の癖や世界観、観念といったものに気づかせてくれるものととらえることができます。
そして、私たちはそれに気づいたら、変えていくことができます。
「痛み」を感じるところには、自分が何がしかえるものが眠っています。
それは、言い方を変えると、「自分の心を広げてくれる」ということでもあります。
たとえば、頬をぎゅーっとつねると、私たちは「イテテテテ…」と痛みを感じます。
しかしそのとき、頬は広がっています。
同じことが、心の世界でも起きているように思います。
何がしかの「痛み」を感じるとき。
それは、自分の心が広がろうとしているときといえます。
それまでの自分の枠を超えて、広がろうとするとき。
私たちは、「痛み」というものを感じます。
3.だから、「痛み」とともに在る
「痛み」が教えてくれるもの。
自分の心の枠であったり、観念や価値観、あるいは思い込み。
そしてそれは、自分の心が広がろうとしている合図である。
しかし、たとえそうだったとしても、「痛み」がなくなるわけでもありません。
悲しい、寂しい、虚しい…いろんなネガティブな感情というのは、なくなるものではありません。
違うのは、そこにどう「意味づけ」をするか、だけなのだと思います。
どうあっても、私たちには感情があり、それは天気のように日々移ろいゆくものです。
そこを、無理に否定してしまうと、二重にしんどくなってしまいます。
そうしたネガティブな感情を、否定しなくても大丈夫なんです。
もちろん、それを感じることはイヤなものですし、私だって、できればご遠慮願いたいものです笑
けれども、それが「在る」ことを、否定しなくてもいい。
ただ「在る」ものは「在る」ものとして、感じ尽くすしかないのだと思います。
そしてそれは、自分一人で抱え込まなくてもいいんです。
悲しいときは、「悲しい」でいいんです。
寂しいときは、「寂しい」でいいんです。
悔しいときは、「悔しい」でいいんです。
ただ、その「痛み」の奥に、新しい自分自身があることを、知っていさえすれば、いいのだと思うのです。
「痛み」とは、そこに得るものがあるというサイン。
だからといって、私たちにできるのは、そうした「痛み」を隠さず、消さず、否定せず、ただ「在る」ものとして感じることなのだと思うのです。
今日は、「痛み」について、そんな視点をお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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